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1-1-10 【桜瀬七波】 信用

 時間にして、5分も経っていないだろうけど、あたし達は全力で走る。  太ももと肩と背中にでっかい打撲を負った女子高生と、足先が溶けた男。  そんな状態じゃ大した距離は走ってないんだろうけど、命がけで走った結果、それでもやっと繁華の明かりが見え始めた場所まで到着した。  一本道だったオフィス街の表通りが、さらに左右に広い敷地へと結ばれる。  そこでゲフリーさんは静かにスピードを落として、今逃げてきた方向へと視線を向ける。 七波「ちょっ……ゲフリーさん……」  もっと逃げないと、とは声をかけようとしたものの、怪我をしたまま全力疾走すること5分程、流石に息が乱れて、足がゲフリーさんに合わせて止まってしまう。 ゲフリーレン「……。……とりあえず……大丈夫だろう」  ゲフリーさんの息も荒い。  それでも表情が全然乱れない辺り、やっぱり男の人との身体差は感じない訳にはいかないな……。 七波「……さっきの……何したの?」 ゲフリーレン「さっきの?」 七波「ほら、ゲフリーさんが、パーンってフレイバーンを引っ叩いたら、あいつ、すてーんってひっくり返って」 ゲフリーレン「……ああ」  と、ゲフリーさんが右の手を広げて。 ゲフリーレン「奴のバイザーに、数枚貼り合わせて手のひら大まで大きくした創傷保護材を張り付けた」  ……。  創傷保護材って……。 七波「え……絆創膏? あたしが渡した奴!? 何、そんなアナクロな手であいつ目が見えなくなったっての!?」 ゲフリーレン「奴のステルラスーツは確かに高テクノロジーの結晶体だが、高いテクノロジーは逆に意外なアナログ手法に対応していないことも多い。ノクトビジョンしか使えていない奴では、物理的な障壁を透過して俺たちの姿を見ることはできない。あの粘着力なら、奴の分厚い手甲では器用さが失われて簡単には剥がせん。そもそも手段が原始的過ぎて、剥がすという行為が解決方法であると行きつかない可能性もある」  耳たぶをいじりながらゲフリーさんは言う。  た、確かにバカでかい絆創膏は何枚か残ってた。それをあんな風に使っちゃうなんて……! 七波「ふっ……あははっ……」 ゲフリーレン「……何がおかしい?」 七波「い、いや、さっきの、あんなに人のことビビらせてくれた奴が、バラエティの芸人がやってそうなネタでもんどりうってる姿想像したら、おっかしくってね」 ゲフリーレン「……良く分からん」  ウチの常連のあの二人にもそんな仕事が来ればいいのに、なんてちょっと思ったりして。 七波「はぁ……。……生きてる、な」 ゲフリーレン「……む?」 七波「死ぬのマジで覚悟したけど……こうしてここに戻ってこれたのが信じられないって思って……それで安心して笑ったってのもあるんじゃないかな」 ゲフリーレン「……そうか」 七波「えと……ありがと、ゲフリーさん」  ちょっと照れ臭かったけど、お礼。  あたしが素直にありがとうなんて、咲子かお兄ちゃんぐらいにしかしないんだからな。  でも……結果的には戻ってきて助けてくれたのも、そしてあたしに言葉で勇気をくれたのも、どっちもゲフリーさんだったんだし。 ゲフリーレン「……礼は必要ない」 七波「……そお?」 ゲフリーレン「信じられないと言えば、俺にはお前があの状況で、あれほどの大声を上げた事の方が信じられなかったがな。逆に相手を驚かせて引き金を引かれる可能性は考えなかったのか?」 七波「え? ……いや、だってゲフリーさんが言ってくれたんじゃん。大声で叫べば、未来のあたしが助けてくれるかもって」 ゲフリーレン「ああ、それか。……」  と……ゲフリーさんが――ここまでのたった僅かな付き合いしかないけど――それでもここまでの言動や行動とは見合わない、不思議な、なんとも複雑そうな表情であたしを見る。 ゲフリーレン「……あれを、そう捉えて大声を上げたのか?」 七波「うぃ。……なんかヘン?」  ゲフリーさんの顔が、更に完全に呆気にとられたような表情を浮かべる。 ゲフリーレン「あ……れは……そういう意味ではなかったつもりなのだが……」 七波「……え? そうなの?」 ゲフリーレン「お前という奴は……常々想定外の動きをする」 七波「いやそれほどでも」 ゲフリーレン「褒めてはいない」  ……何とゲフリーさんは、この場で初めて、無表情な顔に僅かな戸惑いの色を浮かべていた。  その変化に少しだけ嬉しくなる。多分、ゲフリーさんのそんな表情を見られる人は滅多にいないんじゃないかなーと、あたしは勝手に感じていた。 ゲフリーレン「だから、惜しい、のか……」 七波「……え? 何?」 ゲフリーレン「……気にするな。だが機会があれば、あの言葉の意味を別の角度から捉え、考察する事を勧める。元より短時間で解の出る話をした覚えはない。上辺だけ捉えられた言葉で、人が変わるものでもない」 七波「ほーほほー……」  あの言葉、意味が違ったのか……。  まぁ、でも勇気の出る言葉だったとは思うよ、うん。あたしが保証する。 七波「あー、そうだ! ゲフリーさん、あいつのノクトビジョンの事、デタラメ教えたでしょ! なーにが15秒は直らないだよ、10秒もしない内にパーンッ! って撃たれたんですけど」  ふと思い出して、あたしはゲフリーさんに悪態をついていた。 七波「あれが無かったらあんなヤバい状態になる事はなかったと思うんですけどねー!」 ゲフリーレン「ああ、知っていた」 七波「知ってたんなら……!」  ……。 七波「……え?」  ……あたしは耳を疑う。 七波「ちょっ……知ってたって何を?」 ゲフリーレン「奴のノクトビジョンがほぼ数瞬で復旧することなど、あのレベルのテクノロジーに関わる人間ならほぼ周知の事実。最初からお前の照明には、なんの効果もなかった」 七波「……え、ちょっ……何それ……?」  ゲフリーさんの言っていることが一瞬分からなくて、頭が少しだけ混乱する。  ……いや、言葉の意味は分かる。でも……どうしてあたしの頭はこんなに混乱する? 七波「じょっ、冗談でも……していいことと悪いことがあるでしょ!?」 ゲフリーレン「俺のしたことが冗談だとでも?」 七波「だったら、何でそんなウソ……!」 ゲフリーレン「奴に、完全にお前に気を取られるよう、仕向けるためだ」 七波「……」  あたしの胸が、ズキリと音を立てた気がした。  ……違う、そうじゃない……そうじゃないよね、ゲフリーさん。 七波「あたし……死ぬかもしれなかったんだよ……?」 ゲフリーレン「奴が短気でなくて良かったな」 七波「何……言ってっ……!」 ゲフリーレン「おかしな誤解が生じているなら、歪みなく話した方がいいようだな」  更に高鳴り始める旨。  ……それはまた、不快な鼓動。  いやだ、聞きたくない……ききたく……! ゲフリーレン「お前は知っているはずだ。俺が姿を消せることを」 七波「……通用口のトコ出る時……それは出来ないって……!」 ゲフリーレン「あの時はな。だが今は可能だ」  そう言ってゲフリーさんがポケットから出したのは。 七波「……あたしのスマホバッテリー……!」 ゲフリーレン「俺の光学迷彩システムを起動させるのに十分な電力が賄えた」 七波「な、何……よその星とかから来たとかさんざん言ってたじゃん……! USBの端子とか……」  それもまた、混乱が生む言葉。  何かが、一つでも嘘であってほしいと、言葉尻の不自然な点を探し求める。  信じようとしなかった言葉まで持ち出して。 ゲフリーレン「この程度のテクノロジーに合わせて、多様に口を合わせる事のできる仕様機構など、規格をいちいち取り決めねばならんこの星では考えられんか」  ゲフリーさんは、スマホバッテリーをあたしに向かって放る。……あたしは慌ててそれを受け止める。 ゲフリーレン「俺はあの暗闇の中、逃亡した訳ではない。ずっとお前の傍らにいた。お前の傍らで、奴が完全に隙を作る機会を窺っていた」 ゲフリーレン「怯えるお前を組み敷いて、悦に浸る瞬間を、な」  全て。  あそこで起きた全てが、ゲフリーさんの手の上で起きた事だったって言うの……? 七波「あ、あたし……あのビルの陰にずっといようとしたんだけど……!」 ゲフリーレン「それはない。お前は絶対にあそこから動くと理解していた。現に動いた」 七波「……っ……」 ゲフリーレン「言葉を交わし、共に俺を危険のないところまで逃がすという言葉が本気だと感じられた。だから俺はこの状況を計画した」  やめて……やめてよ……!  それは確かにあたしがそうありたいと願った『あたし』だ。  でも……嫌だ……! それを――歪んだ思いを形にするその口から吐き出さないで……! ゲフリーレン「あそこにいろという言葉は、お前のような人間には逆に焚き付けの言葉だ。自分が庇われたと思えば猶更な。そしてノクトビジョンの件は、その後押しとして役割を果たした」 七波「通用口……出る時から……!」 ゲフリーレン「もちろんだ」  耳たぶを触るゲフリーさん。  この人にとっては、これは全て日常と変わりない事。 ゲフリーレン「あの建築物の入り口では、危険を0にすることができない。そもそもこの光学迷彩も、今のバッテリー量では朝まで持たなかった」  もう、それ以上の言葉は不要だった。  あたしは既に、愕然とする以外に出来る事はなかったから。 七波「……なんで? あたし……死ぬトコだったんだよ……?」 ゲフリーレン「その時は、俺が失望すればいいだけの事。失敗した際のプランも、いくつか用意していた」 七波「あたし……ゲフリーさんの事……」  『それ』を言おうとして、口をつぐむ。  それはするべきではないと、あそこを出る時に、自分に言い聞かせていたのに。 ゲフリーレン「それが大きな誤解だ」  届いてしまう、言葉としての『それ』。  聞かれたくなかったのに……僅かでも口から出た言葉は、あたしをただ、突き落とす。 ゲフリーレン「俺は初めから、今に至るまで、お前を『信用』してなどいない」 七波「……!!」  そう……『それ』をしては。  あたしはこの人を、『信用』しちゃダメだったんだ。  だから。  あたしはこうして傷付く。  どうしてなんだろう……?  フレイバーンと対峙した時の恐怖なんかよりも……  どうしてあたしはこんなに心を折られてるんだろう……! 七波「……あた……しは……!」 ゲフリーレン「今の俺の目的は、一つだけ」  ふと、ゲフリーさんがあたしの後ろに立つ。  そして……。 七波「え……」  ふぁさっ……とあたしはそのゲフリーさんの腕に抱かれていた。 七波「ひっ……!?」  生じるのは、嫌悪。  その腕から逃げようとしたあたしを、 ゲフリーレン「この場から、逃げ遂せる事だけだ」  引き寄せて……! 七波「……ぁぅぐっ!!?」  その腕を首に巻き付け、あたしを締め上げた……! 七波「ぁ……か……ぁっ……!」  声にならない声が、喉の奥から絞り出される。  生を求めて腕が宙を掻くけど、それは何の功ももたらさない。  喉を締め上げるその腕を、かきむしるように爪を立てる。  更に何度も叩くけど、引きはがすような力は入らなくて……! ゲフリーレン「ナナミ……協力を、感謝する」  薄れていく意識の中で、あたしは涙を――その理由は突き詰めれば、今度は本当に悲しみの涙を――零していた。  悔しい。そして……切ない。切ない。……とっても……とっても……。  助かって、生き永らえたのに。  ゲフリーさんに言われた言葉で、あたしは言い知れない負の感情に捉われた。 七波「……っ……っ……」  それはきっと『裏切り』というものがまき散らす感情で。 七波(ゲフリーさん……あたしは……ゲフリーさんの事……)  勝手にあたし自身が『それ』を抱いていても、それは誰にも、何にも届かなくて……。  だからあたしは……ここで、 七波「……」  物語を  …… ゲフリーレン「――」 七波「……っ……!!」  ――だんっ!! ゲフリーレン「ぎっ……!?」  あたしの足は、ゲフリーさんの溶けた右足を、力の限り踏みつけていた。  その激痛は計り知れないものだったらしく、ゲフリーさんはあたしの腕の力を緩める……。  そのタイミングをあたしは見逃さなかった。 七波「ひゅうぅっ! ……げほっ! げほっ……かっはっ……!」  転がるように前に倒れながら息を吸い、吸い込まれた空気が口に溢れていた唾液と一緒になって喉を叩き、あたしは激しくむせて、咳込んだ。 七波「ゲフリー……さっ……がふっ……! がはっ……!」  うまく、呼吸ができない。  でもあたしは、力が抜けて上がらない上体を何とか持ち上げて、その目でゲフリーさんを見つめた。 ゲフリーレン「……」  ……そこに浮いた表情は。 七波「どう……して……」  ……あたしは疑問を問いかけた。  でも、ゲフリーさんの姿が、急速に透けていく。  まるでそこに誰もいなかったように。  ゲフリーさんは、その姿をくらました……。  かしゃりっ! 七波「っ!?」  背後に響くその音に、あたしは振り返る。 七波「……ぁ……」  ぐらり、と脳が揺れる感覚。  そこにいたその黒い影は、あのあたしを散々脅かした赤い双眸を、まっすぐにあたしに向けていた。 七波「くぅ、あ……ぁっ……くるらっ……ぁっ……!」  声が震える。言葉を発するも、それは形にならない。  髪を振り乱すのが精いっぱいで、もう後退りもできない。  何も、何も考えられない。  去った危機が  再び訪れたことで  あたしの気は、今度こそおかしくなりかけていただろう。  ところが。 フレイバーン「……っ……!」  その黒い影は何を感じたのか、脱兎のごとくあたしの前から逃げ出し、展望台になっている柵の向こうへ飛び降りて……消えた。  それは、実に  一瞬の事だった……。 七波「……」  ……一体、何が起きたのか……わからない……。  ううん、違う。  ここまでで、起きた全てが  一体何だったのか、  或いはここまで起きた全てが  本当に起きた事だったのか、ただの何かの悪い夢だったんじゃないかと、  あたしは現実を疑うしかなかった。  でも。 七波(でも……もう、いい)  あたしはそのまま、倒れ込む。  恐怖する事に、つかれた。  もう、だれか……  あたしをころしたかったら……  すきにしたらいいよ……もう……
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