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1-1-7-2 【桜瀬七波】 受肉 2

 通りを横切るだけでも緊張感は隠し切れないが、とにかく表通りの、視界を遮るものの少ない一直線の道に極力立たないようにして、少しずつ、少しずつ……物陰に隠れながら進んでいく。  街灯の明かりは、全体的になんだかうす暗い。省エネ志向の昨今、休日という事もあって明かりが弱めに設定されているのかもしれない。でも、あたしたちの姿を浮き彫りにするには十分な灯だろう。 ゲフリーレン「……くっ……!」 七波「ゲフリーさん、大丈夫……!?」  ゲフリーさんの足はやっぱり痛々しく、走る姿は決して健常者のそれじゃない。  でも出来るだけ右足の先端を地面に付かないように歩けば、痛みはかなり抑えられるらしい。バランスを保ちながら、何とかあたしの後ろに、身を低くしながらついてくる。 ゲフリーレン「……気にするな、私の事より自分のことだけ考えればいい」 七波「……言ってくれるじゃん、それだけ元気なら心配しないかんね」  まぁ、生意気は言ってみたものの、ただの女子高生であるあたしが、ホントにこんなスニーキングミッションを決行する事になるとは思わなかった訳で。  だからゲフリーさんに邪魔に思われてないだけでも、あたしの方が御の字なのかなぁとも思う。 ゲフリーレン「落ち着け、周囲への警戒が少し曖昧になり始めている。お前の性格なら遅すぎると感じるぐらいでちょうどいい」 七波「黙りこくれ」  あたしに落ち着きがないってのか。……落ち着きないわ、確かに。  とにかく。  あたしもゲフリーさんと同じように身を低くして道を駆け抜けるけど……どう考えてもただの『おっかなびっくり』からやっている行為にしか見えない、申し訳程度の努力だよね……。 七波「……はぁっ……はぁっ……はぁっ……んっくっ……」  何とか物陰に飛び込んで、多分必要ないんだろうけど、緊張で強張った体がさせていた無呼吸から、大きく安堵の息をつく。  別のちっさな雑居ビル入り口。  入り口の両サイドは小部屋のようになっており、表通りからは完全に視界を遮断できてて。  別にドアがあるわけじゃないけど、直接ここを覗き込まれない限りは見つからないだろう、という判断で、あたし達は少しだけ呼吸を整えた。  なろう版だとここにも挿絵があったんだが……それはさておくとして。  遥かにうっすらと見える、メインストリートから放たれていると思しき白い灯。  そろそろ5分ぐらい進んだろうか?  でも、進まない。  驚くほど、進めない。  それもそのはず、一瞬でも姿を捉えられちゃったら多分ゲームオーバー。  一介の女子高生のあたしが逃げ切れる可能性は低いと言わざるを得ない。  そうなったら、殺される……のかな?  話せば分かってくれるモノなのかな……?  とりあえずゲフリーさんを差し出してみるという選択肢もない事もないが、その後のあたしのメンタルを想像するに健やかでいられる保証が皆無なので、精神衛生上、出来れば御免こうむりたい所ではある。 七波「……会ったばっかなのにね」 ゲフリーレン「……なんだ」 七波「別に」  流石に足を庇って走るのは、激痛とは言わないまでも負担が大きいらしく、ゲフリーさんはここまでの行程で、結構息を荒くしていた。 ゲフリーレン「……しかし」 七波「何?」 ゲフリーレン「どうしてこれだけの建造物群に、ここまで全く人がいない?」 七波「え? ……ああ、三連休の真ん中だしね」 ゲフリーレン「……さんれんきゅうとは?」 七波「お休みだよお休み。ま、あたしはちょっと用事があって学校に行ってたんだけど」 ゲフリーレン「……お前の学校はこの辺りなのか?」 七波「ううん? 全然違う場所だよ」 ゲフリーレン「では、なぜナナミはここにいる」 七波「えっ……? あ……その、えと……」  ここで起きた事のブッ飛び具合にすっかり忘れてた。  あたしがここに来た理由。  ここに来た理由、それは。  ……それは。  ……。 七波「……すーっとしに来た」 ゲフリーレン「……すーっと」 七波「そ、すーっと」  ……その中身はくっだらない事だ。  他人から見れば、本当に『些末』って奴。なんでそんな事になるのか人によっては理解できないなんて言われたってしょーがない。  でも、あたし的にはさ……本当にびっくりして、そして喜んで、そして……。  そして……。 ゲフリーレン「精神的負担の軽減を求めて、ここへ訪れたという事か」 七波「えっ? ……。……え、なんて?」 ゲフリーレン「お前に分かりやすく言えば、『悩みを和らげようとしていたのか』、と」 七波「あ……あぁ、うん。……ってか最初からそう言えって」  全く、わざわざ分かりにくいトコからアプローチしてこなくても……って、あれ? 七波「何? ゲフリーさん、悩み相談でもしてくれんの?」 ゲフリーレン「……知的生命体の文明社会には、どこであれ、常に無数の『綻び』が生じている」 七波「……はい?」  唐突に何言い出した、この人? ゲフリーレン「こう――言ってみれば、重なった平行次元に、ぽっかりと穴が開いたような状態だ」 七波「……はぁ」 ゲフリーレン「人はその平行次元を視覚的に感知する事ができなくても、綻びは確実にこの世界に影響を及ぼす。目には見えない『その綻び』が――」 七波「『悩み』?」 ゲフリーレン「『悩み』というものは、『綻び』の起源たるものの一つだ。『綻び』自体ではないが、放っておけば周囲を吸収しながら広がり行く、『綻び』の小さな小さな最初の傷――『それ』へと転じていくもの」 七波「……『それ』? 『それ』って何?」 ゲフリーレン「全ての知的生命体が歩むためのエネルギーだ」 七波「エネル……ギー……? ……悩みが?」 ゲフリーレン「ごく小さいものだがな。」  また、右手で左耳の耳たぶをいじりながら、ゲフリーさんは言うけど。 七波「……いや、そうじゃなくて、それを『それ』っていうのがまどろっこしいんだよ、ゲフリーさんらしいけど。……なんか名前とかないの?」 ゲフリーレン「それが実は分からない」 七波「分からんのかい! ……ってか分からないって何よ」 ゲフリーレン「これは私独自の研究だからな、『それ』に名前を付けるのも結局私になる」 七波「……ゲフリーさんの研究? ……そう言えば全然聞いてなかったけど、ゲフリーさんはつまり、何かの研究者とか科学者って感じの人なの?」 ゲフリーレン「有体に言えばそういう肩書か。――それはともかく、俺の考える『それ』にはもちろん俺がつけた名前がある。……Kujald nah armena」 七波「……何て?」 ゲフリーレン「では、Rahra rarugaudo sixsazahlag deou rudea……ではどうだ」 七波「……日本語でおk」 ゲフリーレン「お前には失望した」 七波「なにおう」  そんな事言われたって、何言ってるかさっぱり分からんもん。 ゲフリーレン「やはり翻訳機を介しても訳せてはいないな。そういう事だ。『それ』をここでは何と呼んでいるか分からん以上、訳した言葉をお前に伝える術がない」 七波「へぇ……そう言えば日本語にあって外国にない言葉とかいっぱいあるって、ウチのお店のお客さんが言ってたなー。『木漏れ日』って言葉、海外にはないんだって」 ゲフリーレン「その認識で概ね正しい。ただ……近い言葉は見つかったと思う」 七波「お、マジ?」 ゲフリーレン「ナナミ、先ほどお前は警察に追われる俺を、なんと呼んだ?」 七波「へっ……?」  ……あー、そんな会話したなぁ……なんつったっけ……?   ◆ 七波『分かり易く言えば。……なんてーか、世の中に浸透していらっしゃる、当然としての認識に照らし合わせて、ざっくりばっさり簡単に言えば、警察に追われてるゲフリーさんは――』   ◆ 七波「……ああ、そっか。『悪い奴』って」 ゲフリーレン「……ふむ……。……もっと端的な言葉があるといいのだが」 七波「端的? 簡単にって事? ……ほほう、それを言っちゃってもいいというのか……!」  何ともあたしの厨二脳を刺激するその質問。……あたしはにんまりと笑ってその解を口にした。 七波「ククク……それは常に、生に仇成す存在を指す言魂(ことだま)。人を(おと)し、忌むべき存在でありながら、時に尊大にそれを成せば人を統べて世を変えて、時に顧みずそれを成せば一殺をして千を救う。世の節理の()に位置する存在。これすなわち――」  すっとゲフリーさんに指を突き付けて……。 七波「――悪」 ゲフリーレン「なるほど」  。 ゲフリーレン「『悪』、か」  ゲフリーさんの表情は変わらない。  でも、目に宿っていた輝きが、不思議とあたしに『(いびつ)』を感じさせた。  そして同時にその目に感じたのは『喜び』。  相反するべき感情が混ざり合う――くすんだ色のマーブル模様のような不自然さに、あたしは一瞬身震いした。  ――そんな瞬間を目の当たりにしたように感じられたんだ。  ゲフリーさんの考える『悪』って……一体……。 七波「……あ、あの、ゲフリーさん? こんなの厨二病の挨拶みたいなモンだからね? あんまマジで受け止めないで、もっといい言葉があったり……」 ゲフリーレン「いや、端的で響きも悪くない。……お前の言葉も実に参考になった」 七波「……マジ?」 ゲフリーレン「研究に名前が生じることは重要だ。それが浸透すれば、導き出される解への道筋は更に容易な物となる」  やっぱり表情は変わらない。  でも、その言葉に少し高揚を感じるのは、聞き違いじゃない気がする。 ゲフリーレン「ナナミ、お前の悩みというのも良い材料になるだろう。話してみろ」  満足げに、研究へと考えを巡らせるゲフリーさん。  ……自分の研究の前進を喜んでるのかな。  でも。  それであたしは少し冷静になり、同時にカチンときた。  なっげー前置きの後にあたしの悩みが研究材料とか、それのどこにあたしがいるんだっつーの。 七波「……はぁ……」 ゲフリーレン「どうした」 七波「……スマホのアプリ消した」 ゲフリーレン「……何?」 七波「以上!」  首傾げてる。ざまーみろっての。  それが悩みを広げるきっかけになったことだけど、ここの文化に疎いゲフリーさんには何の事か分かんないだろー、はっはっは。  ……まぁ、虚しいだけ―― ゲフリーレン「なるほど……。……ここは、安寧の中で生を謳歌する事も容易いようだな」 七波「……はい?」  あたしは唐突なその言葉に、怪訝な顔で首を傾げる。  ……でも、構わずゲフリーさんは言葉を続けた。 ゲフリーレン「目の前に幾重にも並ぶ細い道。どこに繋がっているかも分からない、どれを選ぶべきかも判断できない。だからと言って、見える大きな一本道――そこへ辿り着くには遠すぎる」 七波「え……。……ちょっ……それって……」 ゲフリーレン「お前の目の前に広がる道。……どこへ歩みを向けるべきか迷ったら、何に捕らわれる事もなく、世界に向けて大声を発してみてもいい。それに意味がなくても。それに理由がなくても。そうすればもしかしたら――」 ゲフリーレン「それを耳にした未来のお前が、手招きをしてくれるかもしれない」 七波「……」  あたしは、完全に声を失った。  ゲフリーさん……それって……。……っていうか……今ので、どうして……?  その時――!  パリン……かしゃーん……
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