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1-1-5 【桜瀬七波】 『ゲフリーレン』

 さっきは確かに、ここにはこんな男はいなかったはずなのに、男はそこにごろりと寝転がってあたしをじっと見つめている。  完全に素の顔なんだろうが、ぐぐっと引き締まった表情。見ようによっては雄々しい、とか言われる顔付きなのかなって思う。ビジュアルは悪くない。  夜だから分かりづらいけど、肌は割と白いんじゃないかと思う。……表情と組み合わせて考えると変にアンマッチだ。  で、着ている服がまた不思議な形をしていた。  真っ白なコートみたいだったけど、どことなく近未来を思わせるシンプルだがなんだか尖ったようなデザインのそれ。まぁ、このご時世、多少奇抜な服だって、ファッションで通るとは思うけど……。 七波「……何、あんた?」 ??「問いの解となる幅が広すぎる」  ふんと、鼻を鳴らす男は、ゆっくりと左腕を支えにして体を起こし、やっぱりこちらを見つめている。 そのまま右手で左耳の耳たぶを二度ほど触った。  その、変に余裕ぶった仕草に少しだけイラっと来たあたしは――多分、ここまで引きずった恐怖から解放された反動だと思うんだけど――気分のままに言葉をぶつけてやる。 七波「じゃ全部答えたらいいじゃん。片っ端から。一つはあたしの欲しい解になるんじゃないの?」 ??「それをする理由が俺には?」 七波「……分かった」  その人の返事が面倒臭くなって、あたしも、ふんっ、と鼻を鳴らした後。 七波「……七波。桜瀬七波」 ??「……なんだ?」 七波「あたしの名前。桜瀬七波。あんたは?」 ??「……。なぜ名乗る」 七波「する事にいちいち理由がなきゃ、なんも出来ないの、あんた?」 ??「自我を持つ者の、自我を伴った行動には必ず理由がある」 七波「……。……そうだとして、それをいちいち説明する理由があたしには?」 ??「……説明に責任があるとは言わん。それを果たせというつもりもない」 七波「あっそ。なら別にいい。あんたは名無しの、どっかの誰か。とりあえずあんたに名前がないのは呼ぶ時に困るから名前を適当に考えるけど、それでもいい? 『めざし』とか『くつした』とか『雨雲レーダー』とか」 ??「……。……これが現地人の思考とは……」  ……現地人って……この人……外国人って事?  確かに日本人っぽくない顔立ちではあるけれども。 ??「ゲフリーレン」 七波「……。げふ……りー……何?」 ??「……」  その人――えと、ゲフリーレン、で、いいのかな? 今度はあたしの問いには答えようとしなかった。好きにしろという様に――あたしから興味が失せたように周囲をきょろきょろする。  その名前……やっぱり外人って事だろうか? こんなトコで一体――。 七波「ゲフリーさん」 ゲフリーレン「……」 七波「ゲフリーさんってば」 ゲフリーレン「……。……俺のことか?」 七波「他に誰がいるかっての! 呼びづらいんだもん、ゲフリーレン……だっけ?」 ゲフリーレン「その苦情は受け入れかねる」 七波「いいの! あたしが誰呼んで、誰にモノ言ってるか分かってもらえば!」 ゲフリーレン「俺の意思」 七波「いらん!」 ゲフリーレン「まだしゃべってる途ちゅ……」 七波「そんなことより、ゲフリーさんはこんなトコで何してんの。あいつは一体何?」 ゲフリーレン「……」  ふぅ、と何事か諦めたように呼吸、ってか、ため息を吐き出し、また、左耳たぶを右手で少しこねくり回すゲフリーさん。  すっと、例の『あいつ』の位置を探るように、少し遠くを見るような素振りを見せた後で。  ゲフリーレン「隠れている。『奴』は俺を追ってきた『何者か』だ」 七波「え……じゃ、『あいつ』の目的はゲフリーさんで、あたしを追っかけて来たわけじゃないって事?」  まさかあんな怖い思いして逃げて来たのに、ビビり損? ……でも。 ゲフリーレン「……お前が『奴』に何をされたかは知らんが、お前を追ってきたわけではない、とも言えん。『奴』はお前が逃げ込んだここへ現れたのだから」 七波「そっか……」  だよね。あの足音は、あたしの後ろから聞こえて来たんだし。 七波「助けてくれたんだよね、ありがと」 ゲフリーレン「助けたつもりはない。俺としては自分の潜伏の障害を排除したつもりだ」 七波「……あっそ」  気のないゲフリーさんの返事に、ちょっと口をとがらせる。  まぁ、助かったという事実には変わりはないし、あんなガタガタうるさいのが目の前にいたら、同じ立場だったら見てる方も不安にもなるだろう。  それにあいつの武器の液体をこんな狭い所にまき散らされたら、ゲフリーさんもヤバかっただろうしね。 七波「でもゲフリーさん、何したの? 『あいつ』、あたしたちの事完全に無視してたけど」 ゲフリーレン「それは教えられない」 七波「なんで? ……ってやっぱいいや」  聞いて、『言えない』って言われたことを無理に聞き出すのはあたしの主義じゃない。  そもそも、さっきの名前のやり取りからして、教えられないって言った事は、この人は絶対に教えてくれない気がするし。 七波「じゃ、さっきの続き。ゲフリーさんを追ってきた『何者か』ってのは何? 正体も知らない危ない奴に、訳も分からず追い回されてるわけじゃないんでしょ?」 ゲフリーレン「……可能性を語るのは本意ではない」 七波「……いやいや、予想ってこういう状況じゃ大事なんじゃないの? じゃ、その可能性がハズれてる確率は?」 ゲフリーレン「この問題は確率の対象にならん」 七波「知るかっ! あたしはゲフリーさんが何か知ってんなら、それを教えてくれって言ってんだけど!?」  どーにも始めっから会話がスムーズじゃない、まどろっこしい。  ……あたしが言えた義理じゃないんだけど。 ゲフリーレン「……『奴』の目的は間違いない」 七波「ほほう」 ゲフリーレン「俺の捕縛だ」 七波「ほば……。……何したの?」 ゲフリーレン「……捕縛の理由を聞いているなら、どれを理由にそれが行われてようとしているかは俺には分からん」 七波「どれって、いくつも心当たりがあるって事?」 ゲフリーレン「俺としてはどれ一つとっても理由にならないのだが、そうはならないと考える奴らもいる」 七波「……なんだか事情が複雑そうだなぁ。……じゃ、考えられる理由を一個」 ゲフリーレン「手足を動かした」 七波「……あたし、ゲフリーさんの真空波で殺されるんじゃないの?」 ゲフリーレン「世の中には、息をしているだけの人間を目の敵にしなければならない組織が存在するという事だ」 七波「それってどんな組織よ?」 ゲフリーレン「宇宙警察」 七波「……」  ……。 七波「……」  ……え? 七波「……」  ……えーと…… 七波「……警察」 ゲフリーレン「警察だ」 七波「うん、警察だ、警察」  あたしは、意図して、ゲフリーさんの言った言葉の一部を聞き流した。  ちゃんと聞いてた言葉にだけ、意思の疎通ができていればそれでいい。 七波「……え、じゃ何? あいつ、刑事とかなの? ゲフリーさん、悪いヤツ?」 ゲフリーレン「ナナミ、お前の正義は警察にあるのか?」 七波「あ、名前呼んでくれた」 ゲフリーレン「……なんだその顔は」 七波「いや、『ないかなー』って思ってたことが起きると嬉しいもんで」 ゲフリーレン「……お前は見事に人の話を横道に逸らすのだな……」 七波「いいじゃん。喜びたい時は素直に喜ぶの、あたしは。ちゃんと聞いてるって」 ゲフリーレン「……」  ……ゲフリーさんの言ったことを、ちょっと考えてみる。 七波「警察が正義ねぇ……そんな風に考えたことなかったな。まぁ、なんかあったら助けてくれる場所、だもん。そういう意味ではあたしの生活にとって見たらフツーに生きていくのに、万が一の時に助けになってくれる場所じゃない? そう考えたら正義なのかもね、正義のヒーローなのかもね」  とそんな事を口にしてみたものの、しゃべっている間に色々思い出して。 七波「でも警察にだって悪い噂いっぱいあるからなー。ヤな話いっぱい聞くよ。警察が人の話を取り合ってくれないとか、助けになってくれないとか、取り調べで女の子の体まさぐったりとか、ギャンブルとか、拳銃自殺とか。結局人のやることって事だもんねー」  うんうん、と頷くあたし。『ケーサツ』の『フショージ』なんてのは、あたしごとき女子高生にも、さくさく耳に入ってきちゃう情報社会だ。 七波「……ただ、さ」  あたしはすっとゲフリーさんに視線を戻し―― 七波「分かり易く言えば。……なんてーか、世の中に浸透していらっしゃる、当然としての認識に照らし合わせて、ざっくりばっさり簡単に言えば」  びしっと、指を突き付けて。 七波「警察に追われてるゲフリーさんは『悪い奴』」 ゲフリーレン「なるほど。お前という人間の定義した言葉の趣旨は理解した」  あまり面白くなさそうに、ゲフリーさんはそう言う。  ……軽い言葉に見られた感じかな。まぁ、あたしなんかが正義だ悪だのの意義なんて、深く考えたりするわけないってハナシ。そもそも今ゲフリーさんに言った言葉は、突き詰めていけば――。 七波「警察……刑事、か……『あいつ』が……」 ゲフリーレン「それは分からん」 七波「分からんのかいっ! ……え、何、そういう話の流れじゃなかったの!?」 ゲフリーレン「俺は一度も『奴』が警察だなどとは言っていない」 七波「いや、だってゲフリーさんが手足をバタつかせたから『あいつ』が警察から来たんでしょ!?」 ゲフリーレン「勝手な思い違いだ。それが理由で俺を捕縛しに来る組織が存在するという話の末に、警察という単語が出ただけだが」 七波「……えー……」 ゲフリーレン「分かり易い一例を口にした、と言えばお前には伝わり易いか? 正直、どういうつもりか俺を捕縛したがる奴らは少なくない。確証がない以上、『奴』が、警察の人間である以外にも、全く別な非合法組織の一員である可能性だって、あり得ない話じゃない、という事だ」 七波「うぅぅぅむ……」 ゲフリーレン「とは言え、これまでの事象を積み重ねて、導き出される答えとして適切なのは『奴』が警察の人間である、という事なのだが」 七波「……んー……」  でも、さ。  警察の人間だとしたら、さっきの『人殺し』は許される行為なのか。  ――結論を言えば、『そんな事ないよね』って話。まっとうな警察なら、無暗に人を殺すようなことはありえないと考える。  ただ、もちろんそれはあたしの常識内での話だ。既にさっき、あたしの常識を超えるような単語がゲフリーさんの口から出て、あたしはそれを無視してしまったわけだが。  そんな事も含め、今、この状況じゃ、あたしのちっさな常識の中でモノを考えちゃいけない気がする、とは思う。  というワケで、警察だなんだはこの際置いておくとしよう。  あたしが考えなきゃいけないのは、『あいつ』がどんな立場であったとしても、あたしのみならず、ゲフリーさんにとっても危なすぎる奴ってこと。  だとすれば。 ゲフリーレン「……で。お前はそんな俺を目の前にして、どうする?」 七波「うん、とりあえず『あいつ』から逃げる。……走れる?」 ゲフリーレン「……。……何?」  ゲフリーさんは、軽く言ったあたしの言葉の意味を一瞬捉えきれなかったらしい。  でも、『走れる?』という言葉の一つ上の意味を理解したらしく、怪訝そうな表情を浮かべた。疑問形の言葉が出て来たのは、あたしが口にした事が、ゲフリーさんにとってありえない事だったから、なんじゃないかな。  もちろんあたしはそんなのお構いなしに。 七波「ゲフリーさんが警察だか謎の組織だかに追われてるのはいいんだけどさ、その逃走劇に巻き込まれたあたしは殺されそうになってんだよ。しかも一人死んでる!」 ゲフリーレン「死んだ? ……現地人がか?」 七波「そうだよ! あたし襲ってきた男だから100%同情できないけど、殺されるのはどうかって話でしょ!? さっきの見た? 袋小路でネコが鳴いたらいきなりぶっ放したよ? 死ぬるよ? 殺されるよ? あたしの知ってる警察と違う。アレはあたしは警察とは認めない! 認めない!! ……なので。走れる?」 ゲフリーレン「何が『なので』なんだ?」 七波「自分の疑問を口にする前に、あたしの質問に答えろっての」 ゲフリーレン「……。……普通には走れん」 七波「普通には、って何」 ゲフリーレン「右足のつま先が原因だ」 七波「え? ……っ……!?」  ゲフリーさんに促されるように、あたしはゲフリーさんの右つま先を見た。  距離が近かったから、そこまで視線が及んでいなかった。  そこには。  なかった。  つま先が。  ……溶けていた。  親指は真ん中までなくなっていて、その隣の人差し指も――一緒に持っていかれたんだろう――先端がなくて……。  暗闇の中、むき出しになった、ぐじゃぐじゃの肉。薄明かりに照らされて、てらてらと艶を見せているけど、綺麗さなんて欠片もなくて、むしろただただ生々しさを引き立てるばかり。  脛にも飛び跳ねた液体があったらしく、履いているスラックス……らしきボトムスに一か所大きく穴が開き、内側の皮膚が親指の先ぐらいの大きさで陥没して、わずかにまだ出血していた。  足首に布が強く巻き付けてある。それがつま先の止血帯らしい。  固まったらしい血が傷口の周りに付着して、無理に止血をしたためか、右足全体が少しずつ紫色になり始めていた。  あたしはそれを『凝視する』。  さっきの……あたしを襲ってきたあの男……あの男と同じように……溶かされたって……。  あたしは、さっきの光景をまた一瞬思い出し、こくんっ、と唾を飲む。……しばらくトラウマだな、アレ……。 ゲフリーレン「……溶解した部分の血は止まったか。だが、それが走れるという事と同義ではないな」 七波「んっくっ……」 ゲフリーレン「……苦手なら見つめる必要はないが」 七波「……大丈夫」  あたしは  大丈夫。  軽く頭を振って、深呼吸して。 七波「……まだあいつ……その辺ウロウロしてるかな……?」 ゲフリーレン「俺を負傷させた事は把握しているだろう。あいつにとって俺が目的なら、絶好の機会だ。ここから立ち去る理由はない」 七波「ゲフリーさんは全然走れないワケ?」 ゲフリーレン「引きずれば走れるだろうが、発見されずに逃げ切るのは困難だ」 七波「あたしが肩貸したらちょっとはマシ?」 ゲフリーレン「……さっきから何を言っている?」 七波「見つからずにかぁ……同行者のいるスニーキングミッションは難しいんだけどなぁ……」  例の空腹を持て余す人のゲームを思い出しつつ、あたしは立ち上がり、まずは耳を澄ます。 ゲフリーレン「ナナミ、何をして」 七波「しっ」  ……今はあいつの足音は聞こえない。  だけどそれは逆に不安だ。あいつが今どこにいるかが分からないという事。 七波「……待つしかないね、向こうの出方が分からないんじゃ、こっちから飛び出すのは危ないし」 ゲフリーレン「もう一度聞き直すが、何をする気だ」 七波「一緒に逃げるよ」 ゲフリーレン「……バカなことを言うな」 七波「じゃそんな体であたしの前に出てくるんじゃねー」 ゲフリーレン「出てきたのはお前の方だが」 七波「ふんだ」  あたしは懐をまさぐって、今の手持ちのアイテムを確認し始める。 ゲフリーレン「お前はお前の言う『悪い奴』とやらを助けるのか」 七波「さっきのはあたしの考えを言ったんじゃないの。状況を見て、この国の世間一般的な常識に照らし合わせまして『分かり易い一例を口にした、と言えばゲフリーさんには伝わり易い』のかな? 気を悪くしたらごめんね、思ったこと口から出ちゃうタイプなんだよね、あたし」 ゲフリーレン「……」 七波「でもね、ゲフリーさんが悪い奴かどうかなんてあたしが知るか。この短い時間でゲフリーさんがどんな人間か、分かったことは『話がまどろっこしい人』」 ゲフリーレン「おい」 七波「仕方ないじゃん! じゃ言ったげる! あたしはこんな状態のゲフリーさんを見捨てていけないの!」 ゲフリーレン「……。……理不尽の極みだ」 七波「知ったこっちゃない!」  おせっかいは知ってるもん。この場に限ったことじゃない。  こーゆーのを放っておいて『あの人どうなったんだろう』なんて、ずっと気に病む煩わしさがまとわりついてくるよりマシなんだよね、あたしの場合。 ゲフリーレン「だが」 七波「何?」  ゲフリーさんが体を起こし、あたしのことを真っ直ぐに見つめる――のを、懐を探るあたしは気付かなかった。 ゲフリーレン「そういう事を、自分の利害とはかけ離れた場所で行う存在がいる事を、俺も知ってはいる」 七波「そりゃ良かったっすな!」  不思議なもので、さっきの恐怖はどこへ行ったのか、あたしはゲフリーさんを連れて、この場から逃げるという、冷静に考えれば無謀すぎる算段を立て始めていた。  あんなにも怖かったのに。  あんなにもか弱い自分を突き付けられたのに。  あんなにもみっともなく泣き崩れようとしてたのに。  背中に『こんな人』がいるだけで、それはふっとんで、あたしの無謀さ加減がむくむくと首をもたげる。  強がり。  それがあたしの言ってみれば基本行動理念って奴だ。  それを改めて気付かされたのは、つい今し方だ。たった一人でいれば、それはびっくりするぐらいの空回りをした。  でも今。  こうして怪我人を背中にすれば、それは前に進むための行動力になる。……空っぽな道具だと思ってたけど、ちょっとは便利みたいだね。  胸のドキドキが今はない。  死ぬかもしれない、死にたくなんかない。  でも、みんなの所に帰りたい。  そのためにどうすればいいか、あたしはそっちを考えようとしてた。  そしてそれをさせてくれたのは。  なんとも不思議な会話を繰り返した、背中の怪我人だった。  死への覚悟よりも、前へ進む勇気。  別にこのゲフリーさんって人は、あたしにそれをくれようとなんて、してはくれなかった事だろう。  でも、あたしは生きるための努力を取り戻した。それはこの人あっての事だった。  でも。  そう言えば、さっき。  『ィィィィィィィィィ……!!』  あの時、恐怖の極限ともいえる精神状態で……あたしは……一体何を見た……?
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