16 / 26

第16話 ウは宇宙のウ/スは宇宙のス

ーーー暗い。 どこまでも続く闇の中を緩やかに沈んでいく。 一切の音が遮断された孤独の世界。 これが夢なのか、現実なのかさえ区別がつかない。 ぼんやりとしてまとまらない頭を必死に使い、思考を整理するーーーそうだ、トランが……! 少しずつはっきりしてくる意識。 うっすらと開けた目に、揺らぐ光が写る。 「……?」 光の中に、なにか映像のようなものが見えた。 私の意識はその中へと引き込まれていきーーー。 ーーー映像の中の彼は、ひどく疲弊していた。 周りには武装した集団や異形の怪物たち。空には暗い雲に張り付いた巨大な顔が不気味に笑っている。 まさに絶体絶命の状況だ。 すでに疲弊している彼に向けて、その軍団から一斉攻撃が放たれた。色とりどりの光線が身体を貫き、彼はなす術もなく地面に倒れる。 と、その時、じりじりと迫る怪物たちと彼との間に突如として走りこんできた白いワンピース姿の少女が、両手を広げて立ちふさがった。 立ち上がれない状態で、少女に向かって手を伸ばし、彼は逃げろと叫んだーーー声は聞こえなかったが、そう言っていると確信があった。 それでも少女は首を横に振り、逃げることなく伸ばした両手の先に光の壁を作り出して怪物たちの攻撃を防ぐ。 その強固なバリアは、最初のうちは攻撃を完璧に防いでいた。しかし敵の攻撃はあまりに激しく、少女は徐々に追い詰められていく……足が震え、バリアにはヒビが入り、そして遂にーーー。 轟音と共に激しい爆発が巻き起こり、後には大きなクレーターだけが残された。 爆炎に消えた少女の姿は、もうどこにもなかった。 ふらつきながら立ち上がった彼が、慟哭の叫びを上げる。怒り、悲しみ、その全てが彼から溢れ出し、空気を震わせる。 赤や青のラインが走るその銀色の身体が、一瞬にして眩い光に包まれてーーー。 ーーーそして、何も見えなくなった。 星巡る人 第16話 ウは宇宙のウ/スは宇宙のス 「……ん」 冷たい床の上で目をさまし、体を起こす。倒れた時にぶつけたらしく、身体中に鈍い痛みが走る。 今のは、夢…? 空に浮かぶ顔、怪物の軍団、白いワンピースの少女……それにあの銀色の彼。あれは一体…? ふと窓の外の景色に気づき、唖然とする。 なにこれ……!? 赤や黒や紫の禍々しい光が渦巻く空間が、四方八方にどこまでも果てしなく続いていた。 どうやらとんでもないところにきてしまったらしい。もしかすると死んでしまったのか、という考えが頭をよぎる。だとすればここは死後の世界ーーー? 「違う違う、キミはまだ生きてるよ?」 私の考えを読んだかのように、背後から不意にかけられた言葉。 そんなばかな。この飛行船にはいま私とラセスタしか乗っていないはずなのにーーーー。 突然のことに心臓を鷲掴みされたかのような感覚を覚え、背筋が凍り、全身から冷たい汗が噴き出す。 おそるおそる振り向くと、黒いフードを被った男がいつの間にかコックピットの椅子に座って私をまっすぐに見ていた。 ばくばくする心臓を抑えつつ、なんとか言葉を絞り出す。 「あ、あんた……一体…?」 黒いフードの男は見えている口元をにやりと歪ませ、飄々とした声で答えた。 「こうやって直接会うのは初めてだね、エメラ」 「…!」 ようやく気付いた。 この声…私の頭に送られてきたテレパシーの声だ 「キミたちのこと、ずっと見てたよ。全部知ってる」 不気味な笑みを崩すことなく、フードの男が唐突に切り出した。 「トランを助けたくないかい?」 「え…!?」 「ボクとしても、キミたちにはまだ旅をしていてもらわないと困るんだ」 彼の言う事は果たして本当だろうか。 突然現れて意味深な言動を繰り返す怪しい男を、信用してもいいものなのか。 それを判断するにはあまりにも情報が足りなさすぎた。 そして何より、 この男から感じる得体の知れなさに私の直感が危険信号を示していた。 「だってトランは…もう…」 でもーーー。 「いぃや?トランは生きてる。少なくとも今はまだ、ね」 ーーーもし、もしこいつの言うことが本当なのだとしたらーーー本当に、トランを助けられるのだとしたらーーー。 「…方法があるのね」 ーーー乗らない手は、ない。 黒いフードから覗く口元がより一層歪み、男は楽しげに話し出した。 「もちろんさ。それもとっても簡単にね」 男はコックピットから立ち上がり、つかつかと私に歩み寄ってきた。 「それならはやくーーー」 「その前に、少し話をしよう。ボクはずっとこの時を楽しみにしてたんだ」 私の言葉を遮り、男が顔を近づけてくる。 相変わらず見えるのは口元だけだ。 気持ち悪いーーーなのに不思議と離れることができなかった。まるで金縛りにでもかかったかのように、身体が自由に動かない。 「さてと。そうだな…キミは並行宇宙という概念を知っているかな?」 突然何の話だ。 私は早くトランを助ける方法を知りたいのにーー。 そんな私のことなどお構いなしで、男は笑みを浮かべたまま話し続ける。 「宇宙はひとつじゃなくてね。可能性の数だけ無限とも言える宇宙が存在する。 例えば分かれ道があって、そこをエメラが右に進んだとする。そうすると、その宇宙は『分かれ道を右に進んだエメラがいる宇宙』になる。 でもその瞬間、『左に進んだ場合のエメラがいる宇宙』も同時に生まれる訳だ。 つまり宇宙は、そんな簡単なことで延々と増え続けていくってこと」 話が読めない。それとトランとどう関係があるというのだろう。 「そんな無限に存在する宇宙の中には、例えば『エメラが既に死んでしまった宇宙』もあるだろうし、『エメラが旅に出なかった宇宙』もあるんだろうね。そして幾つもの可能性の中に『高エネルギー生命体が滅んでいない宇宙』も、もちろん存在する」 男が早口でまくしたてる。 「さて、宇宙はそんなにたくさん存在するんだけど、普通なら宇宙から宇宙へ移動することは容易じゃないんだーーー残念なことにね。でも、絶対に不可能な訳じゃない。宇宙と宇宙の間に橋をかけたり、無理やりぶち破ったり…次元の壁を越える方法は幾つも存在する。そのひとつして、高密度のエネルギーを集中させるってやり方もあるね」 その言葉を聞いた瞬間、頭に電流が走り私は目を見開いた。 「ーーーほら、キミのすぐそばにいるだろう?そんなエネルギーを大量に持ち合わせた、本来キミの宇宙にはいるはずのない存在が」 フラッシュバックするのは、あの揺らぐ光の中の光景ーーー爆散する少女、慟哭の叫び声、眩い光。 そしてあの銀色の姿が、私のよく知る彼の姿に重なる。 そんな……まさかーーー!? 「そ、トランはキミたちの宇宙の存在じゃないんだよ。もっと遠いどこか別の宇宙からやってきたんだ」 トランが……? にわかには信じられない話だけど、もしそれが本当だとすればいろいろな事に合点がいく。 たとえば滅んだはずの高エネルギー生命体であるトランがどうして存在しているのか、ということ。 それは宇宙正義の奴らが言っていた、この宇宙にはトランの情報が全くないという話の裏付けにもなる。 唖然とする私の様子を見て、さらにクスクス笑いながら男が話を続ける。 「彼はあの宇宙にとって異物であり、あの宇宙自身の手によって排除されるべき存在だったーーーだから彼はあの宇宙に来た瞬間から、高エネルギー生命体であるにも関わらずその力の大部分を使えない状態で過ごすことを強いられた」 「思うように動けてなかった…ってこと?」 「まあそんなところだね。彼にとっては不便だっただろうねえ。エネルギーの消費も通常より激しいだろうし、普通にしてるだけでも相当辛かったんじゃないかな?」 今までの旅が頭を忙しく駆け巡るーーーメンラーとの戦い、星嵐、ド・ミナンテ、R星……そうだったのかーーー今までトランは弱音も辛さもひとりで抱え込んで、ひとりで戦っていたのか。 怖いんだ…みんなを守り抜けないことがーーーあの星の降る丘でのトランとの会話が蘇る。 いまようやく、その言葉の意味がすこしだけ分かった気がした。 でも……だとしたら、私に力になれることなんて、何もないじゃないか。 身体からふっと力が抜け、膝をついてしまう。 男はそんな私の様子を見て、愉快そうに笑った。 「だからこそ、これはチャンスなんだよ」 「どういうこと…?」 「彼を生まれ変わらせるんだ。別の宇宙からの来訪者としてではなく『キミたちの宇宙の存在』としてね」 この男の言葉がつかめない。 どうやったらそれができるのか、この空間から戻るにはどうしたらいいのか、そもそもトランをどうやって助けだしたらいいのか。 分からないーーー私には、何もできない。 そんな私の様子を見て、男がついに大笑いする。その勢いでフードか少しずれ、彼の目がちらりと見えた。 「キミの困ってる顔はいつ見ても面白いねぇ」 その目を見た瞬間、全身に悪寒が走った。 その目はトランと同じ、星を宿したようなきらきらとした目だった。なのにどうしてーーーどうしてこんなに薄気味が悪いのだろう。光の中に底知れない暗闇が広がるような、そんな冷たい目が私を射抜く。 「安心しなよ。キミはもう必要なものは全部手に入れてるんだ」 男はフードを目深にかぶり、再び目を隠した。 「キミたちこと、いつも見てるよ。これからもずっと、ね」 またね、エメラーーーそう言い残し、男は黒い霧と化して姿を消した。 ふっと身体が軽くなる感覚がして、私はその場にへたり込んでしまった。 いま起きたこと、話したことがまだうまく飲み込めていない。 ただひとつだけ、トランがまだ生きていると分かったことだけが救いだったーーーもちろん、本当なのかどうか確かめる術はないのだけど。 「うう……」 廊下の向こうからうめき声がするーーーラセスタだ。 私は慌てて立ち上がり、廊下に飛び出した。 「ラセスタ、大丈夫?」 廊下に出た私は、今置かれている状況を一瞬忘れてしまうくらいの衝撃を受けた。 目が大きく丸くなったのが自分でもわかるーーーそれくらい、驚いた。 「嘘でしょ…」 倒れたラセスタの上に重なる鎧を着た姿。今まで何度も出くわしてきた小太りの男。 「あ〜、いたたたた…ちっくしょうめ」 「ピエロン田中…あんた、なんで……!?いやそんなことより早くラセスタの上からどきなさいよ!」 呻くピエロン田中を押しのけて、ラセスタを助け起こす。 「なぁにしやがる小娘!」 吠えるピエロン田中を無視してラセスタの頬をぺちぺちと叩く。 「ラセスタ、大丈夫?」 「うう……エメラ……?」 黒髪の少年が微かに目を開けるーーーよかった。 ひとまず安心し、ほっと胸を撫で下ろす。 「ここは…?え、どうしてピエロン田中さんが…?」 「説明すると長くなるから、後で話すね。ピエロン田中のことは私もわからないけど」 じろりと鎧の男を見ると、彼もまた不貞腐れた顔で私を睨んでいた。 「小娘ぇ…せっかくこの俺様がテレポートバッヂまで使って来てやったというのに!」 「知らないわよそんなの!だいたいあんたどーやってここまで来たのよ!ここは……」 言葉を詰まらせる。 分かってはいるけど、口にするのが怖かった。 ピエロン田中がふんっと鼻をならす。 「歪みの中だ。少なくとも俺たちが元いた宇宙じゃねえ」 改めて言われるとやはりショックが大きい。 さっきまでの威勢はどこへやら、俯向く私の目の前に、ピエロン田中が右手を突き出した。 「これは…!」 その手の中には、メモリバードが握られていた。 「お前のだろ、返すぜ」 私が受け取ると、ピエロン田中は早口でぺらぺらと話し始めた。 「俺様はたまたま拾ったそいつに保存されてた無様な映像を見たんだ。いや〜、爆笑だったな。どこのどいつがこんな面白い映像を撮ったのかと思って帰巣装置の設定をみたら、なんとなんとお前の飛行船だった!どーせ今頃無様に凹んでるだろ〜と思って笑いに来てやったんだ!」 帰巣装置とは飛び立ったメモリバードが手元に戻ってくるために必要な機器のことだ。それは確かにこの飛行船に設定してあった。でもどうしてこの男はわざわざここに来たんだ? もしかして……。 「ピエロン田中さん、助けに来てくれたんだね!」 あっけんからんと言い放つラセスタに、ピエロン田中は慌てふためいて言い訳を並べはじめた。 「ち、違うぞ!!!!俺様は悪の大魔王様だからな、わざわざお前たちを助けてやりになんて来るわけがないだろう!!歪みを突破するために飛行船を一機犠牲にしてしまったなんてそんなことはないんだからな!俺様はただ、困り果ててるお前たちの姿を見て笑ってやろうと思ってただけだぞ!本当だぞ!」 早口でそう言いながらも、兜の間からわずかに覗く地肌と思われる部分がみるみる赤くなっていく。 「あー、はいはい、分かったわよ。来てくれてありがとね」 「ふんっ、礼を言われる筋合いなどないわっ」 赤い顔をそむけたピエロン田中のお腹から低い音がなる。 「……腹減った。飯、食わせてくれ」 こいつ、こんなときに……。 でもこいつのおかげで、張り詰めていた緊張感が少し緩んだ気がした。 「僕がなにか……あ、でもキッチンめちゃくちゃだ」 ラセスタがキッチンを見て頭を掻く。 私は心の中でため息をついた。 まあいいかーーーお湯くらいなら湧かせるだろう。 インスタントの麺に沸かしたお湯を入れて約3分、久しく食べていなかった私の好物、銀河麺が出来上がった。 「ーーーで、お前らなんであんな奴らに喧嘩売ったんだ」 麺をがっつきながら、もごもごとピエロン田中が尋ねる。 「喧嘩売ったんじゃないわよ!あいつらが突然……」 「まぁ、高エネルギー生命体がいるならしゃーねぇか。遅かれ早かれ狙われてただろうしな」 その言葉に、私は箸を止める。 「ねえ、前から思ってたんだけどあんたやけに詳しいわね。もっと他にも色々知ってるんでしょ、教えなさいよ」 「……ふんっ、説明するには色々と複雑なんだよ。とりあえず高エネルギー生命体はそんな簡単に死んだりしねえから、死刑が執行される前に宇宙正義の奴らをぶっとばして、高エネルギー生命体を取り返す。そんだけできたら文句なしだろっ」 いとも容易く言ってのけるピエロン田中に、私とラセスタは顔を見合わせる。 「あんた、そんな簡単にーーー!」 「できるんだよ。そのための条件は揃ってんだ」 ピエロン田中がにっと笑う。 「まあ任せとけ」 私の横でラセスタが勢いよく立ち上がる。 「ぼ、僕も!…僕にも手伝わせてもらえないですか」 トランがまだ死んでいないことを知り、ラセスタなりに自分にできることを考えたのだろう。 いつにも増して真剣な眼差しが、ピエロン田中の視線とぶつかる。 一瞬の沈黙は、鼻を鳴らす音ですぐに破られた。 「ふんっーーー足ひっぱんなよ、小僧」 「はい!」 スープを飲み干し、ピエロン田中が立ち上がった。 「ごっそさん。さて、始めるぞ」 名前も用途もわからない小さな工具の数々が床に山積みになっている。これらはすべてピエロン田中が鎧の中から取り出したものだ。 一体何処にそんなにたくさん詰め込んでいたのだろう。 ピエロン田中がラセスタにカプセル状の何かを手渡した。 「こいつは携帯式飛行船バッテリーだ。燃料口から差し込んどけ。浮いたままじゃ色々と都合が悪いからな、取り敢えず着陸するぞ」 「着陸って…こんなところに陸地があるの?」 ピエロン田中は左腕に装着した腕時計らしき機械を弄り、立体映像を浮かび上がらせた。 「レーダーに陸地の反応がある。しかもお誂え向きなことにこの外、酸素まであるぜ」 エネルギーを充電された飛行船を操り、私は陸地がある場所まで降下した。 地面に着くなり私は飛行船から追い出されてしまった。 目の前の飛行船はいま、真っ白な立方体に囲まれている ーーーそれはいつか見た遮断ボックスによく似ていた。 「これは遮断ボックスを俺様が改造した物だ。この中で飛行船や戦艦をメンテナンスしたり武装したりすることができるーーー名付けて『何処でもドッグ』!」 きっといまごろ、この中ではピエロン田中とラセスタが飛行船を作戦用に改造しているのだろう。 私にはさっぱりわからないことだから、手伝おうにも手伝えない。 仕方がないから岩場に腰掛け、今回の作戦について考えを巡らせていた。 数分前のやりとりが頭の中に蘇る。 「とりあえずざっくり説明だけしとくが、高エネルギー生命体は体内のエネルギーがなくなると行動ができなくなるーーーおそらく今がその状態だ。 そこにやつの力の源である星の光をぶち込んでやるんだ」 「その星の光がどこにあるっていうの?」 ピエロン田中がラセスタを指差した。 「それだ」 「…もしかして、星のかけら?」 鎧の音を軋ませて大きくうなずき、話を続ける。 「それは星の光を形にしたもんだ。そいつの光を抽出して、高エネルギー生命体にぶち込む」 「そんなのどうやって…」 「まぁ焦んな。そもそも星のかけらの光だけじゃ出力不足なんだ。そこでそれを補うためにこの船にあるフラッシュプリズム・コンバーターを使う。それは高エネルギー生命体の力を人工的に再現したものだから、編成データを組み替えれば純粋なエネルギーとして還元することができるーーーあくまで理論上だがな」 「ま、待って、私わからない…」 しかしラセスタは難なく理解したようで、頷きながら会話に溶け込む。 「フラッシュプリズム・コンバーターの動力炉に星のかけらをセットして、より大きなエネルギーの塊として発射するってことだね」 「ああ、まとめて撃てばどっちのエネルギーも分散する事はねぇだろ」 どうやらついていけていないのは私だけのようだった。 おいてきぼりの私に気づいたのか、ラセスタが慌てたように説明してくれる。 「あー…ごめんエメラ。んーと、つまりね?星のかけらの光と、フラッシュプリズム・コンバーターのエネルギーを合わせて、トランに向けて撃つってこと」 なるほど……私はようやく理解した。 でもそんなことが果たして可能なのだろうか。 フラッシュプリズム・コンバーターを撃つって言ってたけど……ん?撃つ? 「それを実行するのはお前だ、小娘」 「え…!?」 「この作戦はコントロールが何よりも大切になる。やつの胸の中心をすこしでも逸れたら全部水の泡だーーーちと癪だが、お前の操縦の腕は俺様以上だからな、今回は任せてやるぜ」 嘘でしょ…トランの命が、私に懸かっているなんて。 そんな大役が、果たして私にできるのだろうか。救いを求めてラセスタの方を見たが、彼もまた私が適任だと思っているようだった。 「待ってよ、私にはそんな…!」 「じゃあ誰がやるってんだ」 低く舌打ちし、イライラしたようにピエロン田中が私を睨みつける。 「ここまで来といて、今更うじうじ言ってんじゃねーよ。肝心のお前がそんなんじゃ、俺たちもあいつも無意味に死ぬだけだぞーーーあいつを助けたいんだろ!?エメラァ!!」 ーーーフードの男との話の中で、私はトランが今まで全てを抱え込んでひとりで戦っていたことを知った。 彼の力になりたいと願うくせに、ただ守られるだけで何も知らず、未だに彼の横に並べてもいなかったことを思い知って、自分の無力さが心底嫌になった。 ーーー私には何もできないと、独りよがりで決めつけてしまっていた。 ピエロン田中の言葉にーーーその本気の眼差しに頭を殴られたような衝撃を受け、私はようやく気付いた。 ーーー違うんだ。 私にもまだやれることがあるーーーやらなきゃいけないことがある! 「…ごめん」 私は顔をあげ、しっかりとふたりを見据えた。 「私がやる。必ず、トランを助けよう」 ピエロン田中がにやりと笑い、ラセスタが安堵の表情を浮かべる。 作業に向かう二人の背中に、ありがとう、と心の中で呟いた。 詳しいことは追って説明する。とにかく今は作業が先だーーーそう言われてからもう結構な時間が経つ。 やっぱり何か手伝いをーーーと腰を上げたとき、すこし離れたところから、誰かが歩いてくるのが見えた。 こんなところに人が…? 私は思わずカバンに手を伸ばし、スタンボールを握りしめた。 「そう警戒しなさるな、旅の人よ」 近づいてくる声が朗らかに笑う。 「ようこそ、宇宙と宇宙の狭間へ」 「あなたは…?」 その男は色褪せた灰色の身体にくたびれた赤と金のローブを纏っていた。 骨と皮しかないようなやせ細った全身に、星を映したような目だけが輝きを宿している。 ーーー高エネルギー生命体だ。 私の直感が告げた。 「いかにも。わしは高エネルギー生命体じゃ」 私の考えを読んだように、目の前の老人がさらりと言い放つ。 「もっとも、いまはすべての力を失った抜け殻のようなものじゃがのぅ」 「どうして…こんなところに?」 おそるおそる聞くと、彼は大笑いして答えた。 「そんなに畏まるでない。今のわしはこの狭間を旅することしかできぬただの風来坊に過ぎぬからの」 歩みを止めた老人が、隣に座っても良いかの?と尋ねる。突然のことに戸惑いながらも私は頷いて了承した。 「よっこいしょっと。ありがとうーーーわしの名はデナリ。お主はエメラ・ルリアンじゃの?」 「え…?」 どうして私の名前をーーー? 老人ーーーデナリはわたしの考えを察したように微笑みながら答えた。 「この空間におるとの、歪みの外からいろいろな会話が入ってくるのじゃよーーーここは幾千万もの可能性の宇宙と宇宙を繋ぐ地点じゃからの。勝手じゃが、お主らの会話も聞かせてもらったよ」 音の無い空間に、デナリの言葉が木霊する。 あの黒いフードの男と何処と無く似た底の知れない感じーーーでもどうしてだろう。あの男のような不気味さは全く感じられなかった。 「会話の中で、お主らは正義について話しておったの。宇宙の歴史とは正義と正義の争いの連鎖だと。そしてより大きな正義が勝ってきたのだと……ふむ、確かにそれは間違ってはおらん」 脳裏にあの淡々とした冷たい声が蘇り、私は思わず歯を噛み締めた。 ーーー君たちのその『小さな正義』が、我々の宇宙の均衡を保つという『より大きな正義』によって打ちのめされた。ただそれだけのことだーーー 「じゃがの、わしは思うんじゃ。目の前の誰かを助けたい。大切な家族を守りたいーーーこうしたごく当たり前の、それでいて尊い思いは、果たして本当に小さな正義と一蹴されてしまうようなものなのじゃろうか?」 老人のきらきらとした瞳が私を見る。 その瞬間、体の中に暖かい風が吹き抜けたような錯覚を覚え、いつのまにか不思議と安心していることに気づいた。 「それは否じゃ。彼らが見下す小さな正義にこそ、より大きな正義にも勝る力が秘められておる。それはすべての宇宙において最も強力で、最も優しい力じゃ。何かわかるかの?」 私は首を横に振った。 「ーーー愛、じゃよ」 デナリの瞳はとても優しい光を放っていた。 「…愛」 その時、背後から声が響いた。 「おい小娘!準備が整ったぞ!!急げ!!」 ピエロン田中だ。どうやら出撃ができるらしい。 私は老人にお礼を言うべく振り返ったーーーしかしそこにもうその姿は見当たらなかった。 「手を繋ぎ、心を繋ぐのじゃ。お主らなら、きっとやり遂げられるじゃろう」 頭の中にその言葉を残して、デナリは忽然と姿を消してしまった。 幻…? 首を横に振ってその思いを否定する。 彼の言葉は、その眼差しの暖かさは、私の胸の中にまだ残っていた。 飛行船に戻った私は、ピエロン田中から作戦の詳しい説明を受け、五本の鍵を手渡された。 「お前に任せるぜ」 コックピットに座って目を閉じ、ふかく、ふかく深呼吸する。 頭の中に浮かぶいろいろな言葉。たくさんの人。 そしてーーートラン。 ーーーいつも私は彼に助けてもらってばかりだった。 今までのいろいろな光景が蘇る。 ーーー今度は私がーーー私たちがーーー。 宇宙空間で事切れたトランの姿。 運び去られていくその背中。 「ーーー必ず、助けるから」 待っててね、トランーーー強い思いを胸に、私は飛行船のレバーを引いた。
良い
エロい
萌えた
泣ける
ハラハラ
アツい

ともだちとシェアしよう!