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第14話 星の降る丘

ーーーさて、次のニュースです。近年、宇宙各所で観測されている"歪み"に関する最新情報が入りましたーーー 宇宙のあちこちで発生している不可思議な現象についてのニュースが、堅苦しい言葉で流れてくる。 突然発生したブラックホールによく似た空間が、辺りのものをなにもかも飲み込んでしまう事故が多発しているーーーとのことらしい。 もっとも、コックピットの背にもたれ掛かって大きく伸びをする私の耳にそれはほとんど入ってきていないのだけれど。 旅をするとき一番大切なのは情報だって昔ラベルトに教えてもらったことがある。 ニュースを聞き流しているだけのいまの状況を彼が見たら、どんな顔をするだろうか。 ーーーきっと呆れたような顔するんだろうなあ。 容易に思い浮かぶそれに苦笑しながら体を起こすと、勢いあまって栗色の長い髪が視界を遮った。 「うわっぷ」 思わず変な声が漏れた。 顔を覆う髪を払いのけ、なんとなく、まじまじと眺めてみる。 思えば旅に出てからもう2年が経つ。最初はショートカットにしていた髪もいまや腰まで届くロングヘアだ。 そろそろ切りたいなあ、なんてことを考えながら、私は何気なしにコックピットの横に設置したコスモノートを開いた。 立体に浮かび上がった画面にいろいろな画像が表示されるーーーラベルトの過去、旅立つ直前の私とラベルト、G星でのシューティングゲームグランプリで優勝した時のトロフィー………どれももはや懐かしい。これは持ち主の記憶を保存しておくためのタブレットなのだ。 私は画面に触れ、目を閉じたーーー飛行船はもちろん自動運転だ。 最近の出来事がフラッシュバックのように私の頭をよぎっていく。 星嵐、巨大植物、ホシクイ…立て続けに降りかかった災害や危険生物たちの恐怖がありありと思い出される。 私は目を開け、ふうっと息を吐き出した。 画面には今頭をよぎっていった映像がそのまま映し出されている。 大変な記憶は思い出すだけでも結構疲れるものだ。 画面に映るそうした困難たちを乗り越え、命からがら生き延びた私たちはつい先日、ようやく元の航路に戻ってくることができた。 いままで通じなかったメモリカプセルの電波もようやく入るようになり、そのおかげでこうしてニュースを流すこともできるし、少し先には食料や消耗品を調達できる星もある。 本当にいろいろあったけど、ようやく元の目的地を目指すことができると思うと少しホッとする。 扉の向こうから食器が重なるカチャカチャとした音と、どこか切なげな鼻歌が聞こえてきた。 たぶん、ラセスタが食事の準備をしているのだろう。 R星での一件があってからというもの、ラセスタは目に見えて落ち込んでいた。 親しい人の死や別れはこの宇宙を旅していればそんなに珍しいことではないーーー尤もそれはラベルトの受け売りなんだけどーーーとはいえ、彼にとってはショックが大きすぎたのだろう。 落ち込んでいるのはラセスタだけではない。トランもあの一件以来塞ぎ込んでいるようにみえた。 話しかければ普通に話してはくれるのだが、このところ飛行船の外でぼんやり星を眺めていることが多くなったのだ。 私はーーーショックこそ受けているものの、ふたりと違って落ち込んではいなかった。 決して私が冷たい人間だからではない。 R星の崩壊直前に、星獣と星王が光の中へと旅立つ光景を目にしたからだ。 それが幻だったのかどうか今では確かめる術もないが、彼らはきっと一緒に行けたのだと、私は信じていた。 「エメラー、ちょっと手伝って欲しいんだけどいいかなあ?」 ラセスタが少し困ったような声で私を呼んでいる。 「はいはい、すぐ行くね」 なるべく明るい返事をしつつ長い髪を結いポニーテールにする。 ーーーであるからして、観測不可能な"歪み"の向こうは別の宇宙に繋がっているのではないかという仮説がーーー 流れ続けるニュースを切り、メモリカプセルをズボンのポケットにしまうと私は勢いよく立ち上がった。 星巡る人 第14話 星の降る丘 M95星ーーー私たちの目指すNM78星雲へ直通する亜高速道に一番近い星で、ここで食料や燃料を調達する旅人は多いのだという。 いわゆる宇宙のパーキングエリアだ。 入星手続きを済ませて飛行船を停め、私たちはM95星の地面を踏みしめた。 燦々と降り注ぐ太陽の日差しが眩しい。 少し向こうに質素な造りの家々やたくさんの人で賑わっている商店街が見える。 決して華やかではないが、久しぶりにちゃんとした文明のある星に来た。 「いい星だね〜」 両手を横に広げてうーんと伸びをするラセスタの横にトランが並ぶ。 「…ごめん。俺、ちょっとふらふらしてくるね。まだ少し力が戻らなくて」 そう言って肩越しに微笑むと、トランは光の粒子になって姿を消してしまった。 「トラン、元気ないよね…」 私は頷きながらそれはラセスタもだよ、と心の中で付け加えた。 「ねえ、エメラ。亜高速道に入る前に船の修理と食材を揃えときたいから、僕もちょっと行ってくるね」 「ん、分かったよ」 ラセスタに財布を渡し、人混みに消えていく彼の背中をなんとなく見つめる。 QQ星を出るときに壊れた城から持ち出した金品や私物は、旅に出てすぐに宇宙共通金貨に換金した。 やはり腐っても王族の品。どれも相当な金額がついたため、大金持ちとまではいかないが旅をするのに困らないだけの貯蓄を手に入れることができた。 でもだからといって出来れば無駄遣いはしたくないーーーとラセスタは思っているようで、毎回買い物の後はレシートまできっちり見せてくれる。 さらにこっそり家計簿までつけているのを私は知っていた。 なんだかお母さんみたいだなあ、と思う。 私の実の母、マリア・ルリアンが家事をしてるところなんて見たこともないけどーーー普通の母親というものは、きっとこんな感じなのだろう。 そんなことを考えながら視点を動かすと、フェンスの側面に貼り付けられた看板が目に入った。 真っ白な板に水色の可愛らしい丸文字が踊っている。 美容院 T.B.P 旅の方もお気軽にどうぞ 美容師 ア=シュラ・K・Le=グイン 美容院、かあ…。 髪も伸びてきたけど、ラセスタが家計簿をつけてるのにお金を無駄遣いするのもなんだが後ろめたい。 ううむ、これは迷いどころだ。 もう一度まじまじと看板を見つめてみると、大文字の下に小さくThe Bigining Placeと書かれている。 始まりの場所ーーーなんだかわくわくする響きの言葉が目を引いた。 看板の左下には地図が描かれており、現在地から反対側に少し行ったところにあるようだ。 無意識に人差し指に長い髪をくるくると巻きつける。 ーーーごめん、ラセスタ。 心の中で呟いて、私は地図の示す方向へ踵を返した。 「ありがとうございましたー!」 美容師さんの言葉を背に、私は美容室を後にした。 軽やかな足取りが肩口までのショートヘアを揺らす。 思い切ってばっさりと切ってよかった。 ここは私の新しい"始まりの場所"。 ここからまた改めて旅を始めてーーー。 「ねぇねえお姉ちゃん、俺と一緒に遊ばない?」 後ろから突然声をかけられる。 胸が少し高鳴る。 やっぱり私も声をかけられる程度にはーーー。 「ん?なんだ男かぁ?」 振り向くと明らかに失望したような声。 顔を上げると髭面の濃い顔立ちをした男が落胆しきった顔で立ち尽くしていた。 「ーーーッ!?」 そのときになってようやく気づいた。 いつの間にか男の手が私の胸を鷲掴みにしているーーー瞬間的に、数秒前の男の言葉の意味を理解した。 顔が一気に赤くなったのが自分でも分かった。 ーーー確かに私の胸は小さい。 母や姉と比べても一回り以下の大きさしかないし、同年代の女性のなかでもかなり小さいほうだろうという自覚はある。 でもーーーでもーーー!!! 私は自分でも驚くほど俊敏な動きで目の前の男を殴り飛ばした。 「いってぇ!」 思い切り突き出した拳に髭面の男が筋肉質な体をのけぞらせて倒れる。 「おまえ、本当に女ーーー?」 「なにしてんのよ、バカぁーーーッ!!!」 カバンからスタンボールを取り出し、倒れた男にいくつも思い切り投げつける。 スタンボールの反動なんて微塵も感じられないほど、頭に血が上っていた。 「ちょ、タンマタンマーーーうおおおお!?」 激しい電撃の音と悲鳴を背に、私は肩を怒らせてその場を立ち去った。 あーあ、せっかくいい気分だったのに台無しだ。 さっきまでの軽やかさが嘘のように、しょんぼりしながらとぼとぼと歩いていると、またしても声をかけられた。 「そこのお嬢さんや」 期待せずに声の方向を向くと、道端の切り株におじいさんが座り込んでいた。 「お嬢さんは旅の人かね?」 私が頷くとおじいさんが微笑みながら続けた。 「ちょうど良い時期にいらっしゃった。今晩はタナバタでしての」 「タナバタ…?」 「一年に一度、この星の夜空に星の雨が降る日のことじゃ。 はるか昔、この宇宙を大きな戦乱が包み込んだとき、かつてのM95星人たちは星の雨に願いを込めて祈ったそうじゃ。その祈りが届いたのかどうかは分からんがーーー光の中から現れたひとりの男が、神に近い力を用いてこの宇宙を平和へと導いたのじゃという。 自らを太陽の戦士だと名乗るその者が降り立った場所こそこのM95星だと言われておることから、いつしか夜の空に星の雨が降る時、祈りを込めて天を仰げば願いが叶うと言い伝えられるようになったのじゃ」 どこの星にでもある言い伝えですがの、と言っておじいさんは朗らかに笑う。 「いまではこの星ではそんな話を信じておるものもおらんし、タナバタ自体が形骸化しておるーーー寂しいことにの。旅のお嬢さん、今日この星に来たのも何かの縁ですじゃ、願い事云々は置いておくとしても、夜空を覆う星の雨には一見の価値があるとワシが保証しますぞ」 ーーー願い事、かあ。 おじいさんと別れ歩く道すがら、私はタナバタの話を思い返していた。 子供じゃあるまいし、別に願い事のことを本気で信じているわけじゃない。 ただ、せっかくだから星の雨は見てみたい。 最高のタイミングでこの星に来たな、と自分で自分を褒めてあげたい気持ちでいっぱいだった。 それにもしかしたら、落ち込んでいるあのふたりも少しは気が紛れるんじゃないかなあと目論む気持ちもある。 私はワクワクする気持ちを抑えきれず、ふたりを探して商店街への道を急いだ。 「おーい!エーメーラー!」 進む先から、ふと自分を呼ぶ聞き慣れた声。 ラセスタが大きな買い物袋を三つ抱えよろよろと歩いてきているのが見えた。 相当買い込んだのだろう、袋はどれもパンパンに膨らみ、食品がいくつも頭を覗かせている。 「髪切ったんだー!前のも良かったけど、ショートも似合ってるね」 ラセスタが楽しそうに笑う。 「やっぱりお姫様は違うなあ」 キラキラした目でそんなに褒められるとすこしこそばゆい。 私は赤くなる顔を隠しつつ、慌てて話題をそらした。 「あのね、ラセスタ!さっき教えてもらったんだけどこの星にはーーー」 タナバタの話を聞いたラセスタは目を輝かせ、夜にみんなで食べるお弁当を作るんだと張り切って飛行船に戻っていってしまった。 興奮しきったあの様子だと、きっとものすごい料理を仕上げてくるのだろう。その様子を想像するとすこし笑いがこみ上げてくる。 トランをお願いね!ーーー去り際、ラセスタはそう言っていたけど、正直トランが行きそうな場所なんて分からないし、メモリカプセルで連絡をしても通じない。 家族だなんだ言っても、まだなにも知らないんだな…。 少し寂しい思いで当てもなくふらふらと道を外れて裏路地へ進んだ。 それ自体は本当に偶然だったのだけど、私は運の悪いことにそこに見覚えのある悪趣味な建物を 発見してしまった。 ゴテゴテとした派手な装飾、壁のあちこちでチカチカと明滅するイルミネーション、下品な色使い……。 すこし前、惑星N5で立ち入った建物にそっくりだ。 間違いない、ここはーーー。 「あいつの城だ…」 言葉が口からポロリと漏れた。 そのとき、壁に備え付けられたスピーカーからキーンとした高い音とともに大きなダミ声が響き渡った。 「小娘ぇ!なぁぜこの星にいる!?」 自称"宇宙大魔王"ピエロン田中だ。 よりにもよってこいつに会ってしまうとは。落ち込んでいた気分にとどめを刺された気分だ。 私はついきつい口調になるのを抑えられなかった。 「あんたこそ、どうしてここにいんのよ! あぁそれと、この前はよくもやってくれたわね!あんたのおかげで、私たち酷い目にあったんだから!」 「なぁ⁉︎悪事を働いてこその魔王だろうが!」 あくまで強気ではあるが、さきほどより少し気圧されたような声でピエロン田中が反論する。 そのとき、目の前の扉が開いた。 「ようこそ魔王城へ!!」 大小様々な姿をした怪獣たちが一斉に現れた。 角や羽や尻尾がそれぞれ揺れ、喜びを表現している。 「いやー、すみませんね、せっかく魔王さまのお友達がみえたというのにお迎えが遅くなっちゃって」 「ああ言ってはいますが魔王さま、ほんとは嬉しいんですよ。照れ屋だから」 「魔王さまにお友達がああぁ!今夜は赤飯ですわあ!」 ある者は喜びのあまり飛び跳ね、またあるものは涙ぐんでさえいる。そんな怪獣たちに連れられて流されるままにわたしは城の最上階へやってきた。 ……どうしてこうなった。 まあ会いたいやつではないけど、もしかしたらトランのことをなにか知っているかもしれない。 聞いてみる価値はあるだろう。 私は鞄の中に手を突っ込み、スタンボールの残数を確認したーーー三つある。 三つもあればもしなにかあっても大丈夫だろう。 大きく深呼吸し、私は扉を開けた。 「うわぁ…」 思わず声が漏れる。 扉の向こうを見たとき、一瞬ものおきでも開けてしまったのかと錯覚したほど、その部屋はひどく散らかっていた。 六畳間にこれでもかと積み上げられたゴミ袋と、床中に散乱する雑誌によって足の踏み場もないその部屋の中央で、胡座をかいて座っている鎧姿の小男が私を睨みつけている。 「やいやいやい、小娘!こんなところに何の用だ!」 吠えるピエロン田中を無視し、私は思ったことをそのまま口にした。 「あんた、すこしは部屋を片付けなさいよ…」 「うるさい!俺様の部屋をどうしようが俺様の勝手だろ!……ん?なんだ、今日はあいつらと一緒じゃないのか」 鎧の奥で怪訝そうな顔をしたのが見て取れる。 私たちがばらばらに行動しているのがよほど珍しいとでも思っているようだ。 「それをあんたに聞きに来たのよ。ねえ、トランを見なかった?」 「ふんっ、あいつの行き先なんぞ俺様が知るかっ」 予想通りの答えにがっくりと肩を落とす。 ーーーまあ、そうだよなあ。 「…S地区32番地に行ってみろ」 驚いて顔を上げるとピエロン田中が不機嫌そうな顔で鼻を鳴らした。 「高エネルギー生命体は星の光を力にするからな、もしかしたら星のよく見えるところにいるんじゃねえのか」 そしてニヤリと笑って付け加えた。 「今夜はタナバタだからな」 教えられた場所へ着いたときにはもう陽は傾きはじめていた。 地平線の果てに沈む真っ赤な夕日が青い夜に飲み込まれていくその光景はどこか幻想的で、つい足を止めて見入ってしまう。 S地区32番地は小高い丘で、この付近の景色を一望できるようになっていた。 商店街の賑わいも、何隻か停められた飛行船もなにもかもがぼんやりと夢の世界のように映る。 なるほど、ここなら星がよく見えるだろう。 ピエロン田中に少しだけーーーほんの少しだけ感謝しながら歩を進めると、丘の頂上に淡く暖かい光が見えた。 人の姿をした光が、徐々に暗くなる空を見上げて静かに佇んでいる。 「トラン……?」 思わずその名を呟くと、光はこちらに顔を向け弱々しく微笑んだ。 「やあ、エメラ」 やあ、じゃないでしょ、と思うが、それ以上にトランが無事に見つかったことに安堵している自分がいることに驚く。 「なーにしてんの、こんなとこで」 残りの斜面を一気に駆け上り声をかけた私に、トランは切なげなーーーそれでも真剣な眼差しで、ぽつりと呟いた。 「…ちょっと、考え事をしてたんだ」 まっすぐに私を見据える目がーーーそれなのにどこか遠くを見ているようなそんな目が、なぜか潤んでいるように見えるのは光の反射のせいだろうか。 「…このまえのこと?」 私の問いかけに、彼が短く頷く。 「俺はまた、なにも守れなかったんだ」 静かな声が空に木霊する。 「今の俺の全力じゃあどうすることも出来なかった。 俺にもっと力があれば、もしかしたら違う結末があったのかもしれない。 君たちをあんな危険な目に遭わせなくても済んだのかもしれない…あのときもし…もし二人を失っていたら俺は…」 頭を抱え俯くその瞳には、いつもの星を宿したような輝きはなく、ただ恐怖や後悔がぐるぐると渦を巻いて塗り潰された黒が広がるだけだった。 「怖いんだ…守り抜けないことがーーー俺のせいで、大切な人が死ぬことが……!!!」 その姿はまるでただ恐怖に怯える子供のようでーーー。 「俺はやっぱり、正義の味方なんかじゃないんだ」 ーーー絞り出すような声でぽつりと呟かれたそれは、私に向けられたものではなく、どこか遠い過去を見ているかのようで、果てしなく深い彼の後悔が伝わってくるような震えた声だった。 彼は今まで、私たちを守るために何度も何度も危険な相手との戦いを引き受け、自分の身を挺してでも守ってくれた。 その姿はーーーその背中は私にとって、間違いなく正義の味方そのものだった。 でも彼は、本当は自分の心と戦っていたんだ。 押しつぶされそうな恐怖のなか、彼はいつも独りで戦っていたんだ。 そう思った瞬間、私は心の声を抑えきれずに吐き出していた。 「どうして?どうしてひとりなのよ」 「え…?」 「ひとりで背負い込んで、ひとりで戦って……なんで…なんでなにも話してくれないのよ」 涙声になりながら私は言葉を続けようとした。 「私たち、家族でしょう?」 彼の過去になにがあったのかは知らない。 どうしてそんなに怯えてるのかもわからない。 でもこのままずっと守ってもらうだけじゃダメだってことだけはわかる。 私には特別な力はなにもない。 だけどそれでもーーー。 「ーーー私だって、トランの力になりたい」 自然に、言葉が口をつく。 それは偽りのない本心だった。 沈黙の中、トランがまっすぐに私を見つめる。 星を宿したような彼の目はいま、ようやく私を見ているように思えた。 「エメラ……」 突然ぐいっと引き寄せられ、私の身体はトランに抱きしめられる。 一瞬、何が起きたか理解ができなかった。 「え?ええ?」 予想外のことに動揺して顔が赤くなり、どうしたらいいのかわからずおろおろしてしまう。 なにしろ生まれて初めてのことだ。 「と、ととと、トラン?」 慌てていた私は、ふと、私を抱きしめる彼が小さく震えているのに気づく。 「…ありがとう」 たった一言、彼はつぶやいた。 それで充分だった。 バクバクする心臓を抑えつつ、返事の代わりにぎごちなく抱きしめ返す。 夜の闇に包まれているというのに、まるで光の中にいるような、心地よい暖かさが身体に伝わってくる。 誰もいない、二人だけの世界ーーーそこに、唐突に光が満ちた。 昼間と錯覚するほどの明るさが辺りを包み、次の瞬間には無数の光の線が暗闇を切り裂いて流れていく。 果てしない地平線の彼方まで、いくつも、いくつも、いくつも………その様はまるでーーー。 「星の雨…」 私から離れたトランの身体が淡く光を放つ。 星の光を力にーーーこれがピエロン田中の言っていた言葉の意味なのだろう。 「…これで少しはまともに動けそうだ」 トランが手を握ったり開いたりしながら呟く。 その言葉から察するに、どうやらこのためにここにいたようだった。 「おーーーい」 聞き覚えのある声に振り向くと、がやがやとした姿形もばらばらの集団が丘の中腹あたりを登ってきているところだった。 その先頭を歩くラセスタは、両手に大きな荷物ーーーたぶん、力作のお弁当ーーーを抱え、背後の怪獣たちに支えられながらよろよろとこちらへ歩いてくる。 「二人ともお待たせ!もう始まっちゃってるね」 ラセスタがキラキラした目で空を見上げるその後ろで、怪獣たちとピエロン田中の騒がしい声が聞こえてくる。 「だぁー!はなせぇ!俺さまはタナバタなんぞに興味はなぁーい!」 「なに言ってるんですか魔王さま、あんなに楽しみにしてたのに!」 「お願い事、するんでしょう?」 「せっかくお友達もいるのに!」 「ほらほら、お弁当見てくださいよ!私たちもつくったんですよぉ!」 世話焼きの怪獣たちにはさすがのピエロン田中もたじたじのようで、小柄なその身体を怪獣たちに抱え上げられ、為すがままに運ばれている。 ーーー部下というか、お母さんみたいだな。 むすっとした不機嫌そうな顔で連れてこられたピエロン田中に思わず笑う。 「教えてくれてありがとね」 「ふんっ、見つかってよかったじゃねえか」 そう言って鼻をならすその姿は、まるで自分のおかげだと言わんばかりだ。 星の雨は一層輝きを増し、少しの間、私たちは誰もが無言で空を見上げていた。 この星のすべてが音を失ったかのような静寂ーーーそれを破ったのは、聞き覚えのあるどこか切ないメロディだった。 どこの星の言葉かは分からないけれど、そんなことを気にさせないような綺麗な旋律が星の降る空へと吸い込まれていく。 思わず聞き惚れてしまった私が、隣にいたラセスタがそれを口ずさんでいたのだと気づいたのは少し経ってからのことだった。 「あぁあっ、ごめんね、邪魔しちゃった…!」 慌てて歌を止めたラセスタに、周りの怪獣たちから割れんばかりの拍手が浴びせられた。 「素晴らしいですわあー!」 「お料理だけじゃなくて歌も上手だなんて!」 ラセスタは自分の歌にみんなが聴き入っていたとは微塵も思っていなかったようで、その反応に少し戸惑いながらも照れているようだ。 怪獣たちが次々と賞賛の言葉を投げかける中で、ピエロン田中だけが怪訝な顔をしていた。 「おまえ、なんでその歌を知ってんだ?」 「マホロがーーーあ、僕たちが探してる人なんだけどーーーよく歌ってたんだ。言葉の意味は分からなかったけど、ずっと聞いてたからメロディ覚えちゃって」 「ふぅん。それはな、大昔に使われてた旧宇宙共通語だ。いまじゃもうどこにも使われてねえんだがーーー未だに歌を知ってる奴がいるとは驚きだな」 「ピエロンさん、知ってるんだね!じゃあもしかして、この歌の歌詞がわかるの!?」 ラセスタが興味津々に聞くと、ピエロン田中はいつものように得意げに答えた。 「ふんっ、わかるに決まってんだろ!俺様を誰だと思ってる!」 自信満々に教えてくれたその歌詞は、どこか元気を貰えるような力強く優しい、そんな内容でーーー。 「ああぁ!むず痒いッ!俺さまの性に合わねぇ!」 そう言ってピエロン田中は兜を被った頭を横にぶんぶんと振った。 ーーー確かに鎧を着た小太りのおっさんが好むような歌ではないんだろうけどーーーいい歌詞だと素直に思った。 「あ!みんな!お願い事しなきゃ!」 ラセスタが思い出したかのように掌を静かに合わせて目を閉じる。 何を願っているのだろうか。 そう思ってるうちにトランも怪獣たちもお願いを始めた。あんなに嫌がっていたピエロン田中でさえ、不服そうではあるが目を閉じている。 「願い事、しないの?」 気がつくとトランが片目だけ開けてその星を宿した瞳で私を見ていた。 私は首を横に振り、静かに目をとじる。 願い事は、もう決まっていた。 ーーー大切な家族がいるこんな毎日が、ずっとずっと、続きますように。 祈るように、夜空に向かって呟いた。 翌日。 星の雨は止んで、雲ひとつない青空が広がっている。絶好の出発日和だ。 「エンジンは大丈夫、いつでも出発できるよ!」 機関室からラセスタの通信が入る。 「こっちもコーティング終わったよ」 トランがいつも通りの笑顔を見せる。 あのときーーーあの丘の上で、トランは何を願ったのだろう。 すこし考えたところで、首を横に振った。 ーーー関係ない。私は彼の力になりたいだけだ。 私になにができるかはまだ、分からないけれど。 ふうっと深呼吸して、心を落ち着けるーーーさあ、出発だ。 ふわりと空へ浮かび上がる飛行船から下を見ると、すこし離れた位置からピエロン田中の配下の怪獣たちが手を振ってくれているのが見えた。 機関室から戻ってきたラセスタが手を振っているのが横目に映る。 私も小さく手を振り返し、方向を転換して空高く飛び立った。 大気圏を抜けると見慣れた宇宙が広がる。 そのなかに光のゲートが開いていたーーーNM78星雲への直通亜高速道だ。 背後からラセスタの鼻歌が聞こえる。 そのメロディに、昨夜のピエロン田中の言葉が甦り、思わず微笑んでしまう。 亜高速道の光の中へ舵を切りながら、無意識に歌っているのであろうそれに私は頭の中で歌詞を重ねた。 ーーー星を巡る者よ 私は願う この歌が 光年の距離を経て いつかあなたに届くことを それは引き合う絆の石 それはふたつでひとつの鍵 選ばれし者たちが手にしたとき 星宿の地図が 約束の場所へ導く さあ いこう 手と手を繋ぎ こころを繋ぎ まだ見ぬ宇宙の その先へーーー
良い
エロい
萌えた
泣ける
ハラハラ
アツい

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