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第1話 狭い空

 電車の運転手と目が合った時。「死ぬ」という恐怖よりも、「申し訳ない」という気持ちが先に来た。  最近では珍しくもない、異常が日常と化した現代では淡々と処理するだろうか。だが引き攣った顔で目だけを見開いていたあの運転手さんは、きっと仕事だからと割り切りはしないと思う。無関係な彼には悪い事をしたと、今でも感じる。  ――本当に悪い事に、互いに『不本意』の衝突だったのだから。  俺が死にたがりだったのなら、少なくとも片方()の本懐は遂げられた。だがそうではなかった。 「――はなせよ……! 放せって! 誤解ですって!」 「誤解じゃねーだろうが! オレの彼女が触られたって言ってんだから!」 「早く駅員さん呼んでよ!」  確かに、遠く離れたい気持ちで一杯だった。今すぐ別の『どこか』に行きたいと。  だがそれは自死を望むものではなく、一分一秒でも早くあの場からエスケープしたいだけだった。俺は急いでいたんだ。手に入れた大きな『箱』を、アイツに届けてやりたくて。 『ね~ね~、トオルぅー。今度さ、新作のゲーム一緒に遊ぼうよ!』 『本体買うの俺だろうが……。タダで遊ぶつもりかよ……』 『タダじゃないわよ! アンタがアタシと一緒に遊べるなんて、本来はお金払ってもムリな話よ!?』 『自己評価が高過ぎんだろ!』  本当は高くなんてなかった。当然の評価だ。俺が心の中でどれほど喜んだことか。  話題のゲーム機を発売日に新品で買う程度、俺が今までコツコツ貯めた貯金を解放するなんて事くらいは、アイツと一緒に遊べる時間に代わるなら安い出費だった。 「――まもなく快速列車が参ります。危ないので、黄色い線まで下がって……」 「触ってないって言ってんだろ……! はな、せって……!」 「コノヤロ……!」 「あっ!」  天地神明に誓って、俺は痴漢なんてやってない。相手の勘違いか、ともすれば示談代わりにゲーム機を欲したのかもしれない。男の方がそんな言葉も口に出していた。  だがその真意を図ることも。話し合う機会も。俺の冤罪が晴れることもなく。――アイツと一緒に遊ぶ約束すら。遠く彼方に消え失せてしまった。  揉み合っているうちに外れた手。バランスを崩す俺。驚愕する男。声を上げる女性。  体勢を立て直そうとした。だが踏ん張れない。駅のホームから足を踏み外す。体が宙に浮く。手を伸ばす。届かない。誰にも。汽笛。悲鳴。目が合う。死――。  ――最期に思ったのは、無関係な運転手さんへの申し訳なさと。そしてアイツとの約束を破ってしまった事への、深い深い後悔と謝罪の気持ちだった。 *** 「オラっ、入れ! グズグズするな、この『魔女』がッ!」  乱暴に背中を押され、石造りの硬い床に顔から倒れこむ。長い金髪が白い床に乱れ広がった。  両手首を手錠で繋がれ、マトモに受け身も取れず――いや、取る気力も体力も存在せず。悲しみに支配された脳に、痛みは届き切らなかった。 「……7日間の『審査』を経た後に、貴様は裁判にかけられる。まぁ、間違いなく極刑だろうから、残りの人生を謳歌しておくことだな」  『看守』の男はそれだけ言うと、鉄格子の扉に鍵をかけ、階段を下って行った。 「………………」  看守の足音も聞こえなくなり。高い『塔』の、その最上階は。円形にぐるりと牢屋を囲う白い石壁は、あちこちがボロボロと崩れており。隙間から入り込む冷たい風の音を、楽器のように鳴らしていた。 「……っ」  茶色い薄手の囚人服(ボロ)では身を守ることもできず。じわじわと蝕むような痛みと寒さを堪え、うつ伏せになったまま考える。非力なこの細腕では背後の鉄格子を突破できない。たとえそのすぐ先に、地上へと続く階段があるとしても。  天井はぽっかり空いている。青空が見えた。壁をよじ登ったり、壊そうと思えば出来るかもしれない。だがそれは馬鹿な選択だ。何故なら『此処』は――地上666階。雲の上の牢。 「冷たい……」  隙間風も。倒れ込む石の床も。死んでいった国民、臣下、家族達の肉体すらも。  今は全てが熱を持たず、静寂と忘却の中に霧散してしまう。――消え去ってしまった。 「……地獄ね、ここは……」  ポツリと呟いた声も、何もない空間に溶けて消え――。 「――いいや違う。ここは『アルカトラ大監獄』666階。人類史上最悪の犯罪者を収容する場所。『地獄』なんて名前じゃない」  返答。驚きに目を見開く。がばっと起き上がり、声のした方を向く。  そこには――頭部以外の全てに『鎖』を巻き付けられた少年が、ボサボサの黒髪と汚れた顔で、壁に背をもたれつつコチラを見ていた。 「ようこそ世界の果てへ、お姫様。……いや。たった一夜で国民10万人を皆殺しにした『絶望の魔女』さんと呼んだ方が良いか? ……看守から聞いていた話と少し違うなぁ。もっと凶悪なツラしてるかと」  絶望の魔女――『王女エリス』は言葉を失った。男と同室、先客がいた、異様な風体。そのどれもが。  ただ。世界中のありとあらゆる凶悪犯罪者を収監し。1000年の歴史の中で一度も脱走者を出さず。そんな場所の、最も『高度』で厳重な場所に拘束されている少年。  『私は無罪である』。だが、彼の場合は――自国民10万人殺しにも匹敵するほどの罪を、何らかの大罪を犯してきたのだろう。だとすれば――。 「わ、私は魔女なんかじゃ……! それより、貴方は一体……。な、何をして……!」 「……あぁ、俺? 俺は……」  言いたい事を察し。鎖に巻かれた少年は、ニヤリと笑って答えた。 「……『何も』。で捕まっているって言ったら……アンタ、信じるかよ?」  罪なき王女と冤罪の少年。  後にアルカトラ大監獄の――世界の歴史に名を残す二人が、出会った瞬間だった。 ***  王女のサファイアのような碧眼と、少年の黒目がかち合う。 「無実……!?」 「そうそう。別になーんにも悪い事してないのに、今や巡り巡って雲の上さ。人生、何が起きるか分からんね。いやホント」  手足、胴体、首筋すら。その全てに鎖が巻かれ、まるで鎖帷子(くさりかたびら)のように。しかしそれは身を守る防具ではなく、壁に打ち付けられた杭と繋がり。拘束具として、「己は無実」と言い張る少年の自由権利を封じ込めていた。 「……な、なら、どうしてそんな恰好……。それほどの拘束……!」 「で、そっちの話は結局マジなの? 一晩で10万人殺したって。どうやったの? 焼き殺したとか斬り裂いたとか、子供は丸呑みにしたとか噂になってるらしいけど」 「そんな事、するわけないでしょう! できるはずもない! 私は人間よ!? それに、自分の国民を……っ!」  意図的に話題を逸らされたにも関わらず。エリスは昂って己の潔白を主張した。  普段なら初対面の相手に怒鳴る事などない。以前までは、どれほど無礼な振る舞いや嫌みを言われようと、涼しい顔で流してきた。それがフォレスナイツ王家のしきたりであり、高貴なる身分として当然の振る舞いだった。 「どこの世界に……! 民を手にかける王族がいるものですかっ!」  だが今は、今だけは我慢ならなかった。感情を抑える事などできるはずがない。自分以外のフォレスナイツ王国の全員を失い。あらぬ風評を広められて。自由を奪われ、地上から遥か高い塔の上に幽閉され。  こんな状況下で、冷静でいられなかった。 「――分かった。なら俺もアンタも、潔白の身同士だ。冤罪仲間として、これから仲良くしようぜ」 「……! なっ、え……!?」  荒げる声は止まり。だが冷静にはならず、ただ少年の言葉に『困惑』した。  からかっている口調ではなかった。悪人や奸臣のような、淀んだ目もしていない。真剣だった。本気で「私はそんな事していない」という言葉を信じ、受け入れている真っすぐな瞳をしていた。 「……本気で言っているの?」 「何せ俺が冤罪でブチ込まれたのだから、後から入ってきた奴が同じ境遇だという事も充分に有り得る。ただでさえ拘束されてんのに、脳内まで固定観念や先入観に囚われるのは嫌だね俺は」  語り口は飄々。全身に鎖を巻かれて、今日までたった一人収監されていたはずなのに。二度と大地は踏めない罪人のはずなのに。  少年はどこまでも絶望とは無縁だった。カフェのテラスで昼下がりに談笑するのと、何ら変わりない様子に見えた。 「……あ、貴方の事は分からないけど、とにかく私は何もしていないわ。……私の名前は『エリス・フォレスナイツ』。短い付き合いになるかもしれないけど、挨拶はしておきます」 「これはどうもご丁寧に。案外、長い付き合いになるかもな? だが俺もアンタの事は分からない。しかし俺は俺の事だけは知っている。『安藤透』。それが名前だ」 「『アンディ・トール』? ……変わった名前ね」  その瞬間。少年――安藤透の眉間には露骨に皺が寄った。そして「またかよ……」といった表情と共に、困ったように眉は垂れ下がる。 「あー……うん。そうそう。……良いよもう、アンディで……。そんな発音しにくいかなぁ……。アンドウとトオルだぜ? 頑張ればイケんだろ……。まぁイイさ、時間の無駄だって学習したし……」  何かを諦めた様子で、不貞腐れるようにブツブツと呟く透。  そんな彼を『トール』と呼んだエリスは、彼のテンションの急降下に、頭上に疑問符を浮かべていた。 ***  よく『アンディ・トール』と間違って呼ばれる安藤透は、エリス・フォレスナイツと出会って名乗り合ってから、数時間を過ごした。だがその間に、大して何かが進展する事はなかった。王女様は得体の知れない、胡散臭い『先輩囚人』を当然ながら警戒している。  日が沈み夜が来ても、何もする事がない。当然だ。ここは牢獄。互いに無実であると主張しつつも、拘束されているという現実を前に、具体的に何を為すこともできない。  最初の方こそエリスは壁や床を調べたり、手錠を外せないかと試していたりもした。しかし一時間もしないうちに全て調べ終わり――『何をしても無駄』という分かり切った結論を導き出し、ウロウロするのも止めて座り込んでしまった。 「……厳重な檻も何百人という看守も要らない。遥か高い雲の上に閉じ込めてしまえば、飛び降りる事も抜け出すこともできない。昔の人はよく考えたもんだね」 「………………」  天井が無く、照明器具もない牢屋を照らすのは星々の輝きだけ。この場所で許されているのは、床か壁か空を眺める事くらい。  透はそんな日々を随分長い事過ごしてきた。だがここへ来て孤独ではなくなった彼は、『お喋り』という新たな娯楽に興じようとしていた。相手(エリス)はあまり乗り気ではないようだったが。 「……脱出する方法は、必ずあるはず」  仰向けになって星空を見上げ。迷いなき声で、エリスは言った。 「……本気かよ、お姫様。ここは1000年も昔から、脱走者を一人も出していないアルカトラ大監獄。その天辺(テッペン)の666階だぜ。それともあれか、フォレスナイツ王家に代々伝わるジョークとか?」 「『1000年間破られなかった』という事実が、『明日も脱獄者を出さない』保証にはならないわ」 「すげぇ理屈。でも助けに来てくれる王子様はいないだろ。俺もアンタも髪の毛長くないし。いやアンタはロングヘアーだから長いか。でもロープ代わりにしようにも、地上まで届かせるにはどれくらい伸ばせば良いか……」 「助けは来ない。方法はまだ思いつかない。でも私は必ずここから出るわ。ここはとっても星が近いけど……。近過ぎて、狭い夜空ね。地に足付けて見上げた時は、星空がどこまでも広がっているように思えたのに」  エリスは手錠のかかった腕を星空に伸ばす。輝きに手が届きそうなほど。それでも今は、何も掴めず。石壁に囲まれたこの円形の牢屋は、塔の最上階は。ぼっかりくり抜かれたような天井では、夜空の全てを視界に収めることができなかった。 「……『星空をロマンチックに思わない女子なんていない』。俺はそう教わったけどな。珍しいもんだね」 「誰から教わったの?」 「さぁ……誰だったか」  嘘を付いた。彼女の顔も声も、鮮明に思い出す事ができる。あの日の星空は覚えていないが。 『――ちょっとトオル、ちゃんと聞いてるの? 天体観測に来たのに、ドコ見てたのよアンタは!』  星なんて見ていなかった。望遠鏡を覗くその横顔に、ただ見惚れてばかりいた。 「……この状況で夜空を楽しく見れる女の子なんて、それこそ少数派だと思うけど」 「違いない」  見つめるエリスの横顔は、美しく整っていた。だが星空に照らされる白い肌や長い金髪は、今は土埃や壁の粉塵で汚れ。見上げる夜空の光景など、少しも『良い思い出』として残そうとはしていないように見えた。
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