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二日目の朝

 東の空が淡い虹色に輝いた。それは朝の訪れだ。  虹色の夜明けの下に大きな都市の姿が浮かび上がる。朝霧の中、この近辺で唯一のシェルター都市『タラヅカ』は、半透明のエネルギー・シェルターの向こうで静かに佇んでいた。廃墟で拾い上げた荷を背負い、レスプ・マスクのクーは小さな銀色の怪物と共に都市へと帰還した。  夜明けの都市はまだ寝ぼけ眼で、都市門への大通りにあるのはまばらな人影だけだ。見上げれば高いビル群の上、エネルギー・シェルターの薄い青色を透かして尚、空は虹色に朝焼けていた。  勤勉な店主が早朝からガラガラと道端の店のシャッターを開けた。店には、首の長い馬兎や二つの口を持つ猫、肥大した四つの目玉で頭部が埋め尽くされた蛙など、様々な食用生物が干されていた。かつては存在しなかった生物たちも、今や当たり前のように街に並ぶようになった。  ――全ての空が白き瞬きに覆われたあの年、星外の成分と共に隕石が落ちてから、世界は変わった。  新たな粒子がこの星の空気中に蔓延した結果、大気の屈折率が変わり、今日のように朝日が虹色に輝くようになった。  天が齎したのは美しい風景だけではなかった。隕石に付着していた未確認のウィルスだか惑星外元素だか――それがこの星の生き物を劇的に変化させた。  まずは外見の変質だった。ある中型肉食獣種は巨大化し、ある樹上生活獣種は六つの腕を生やし、またある高木植物種は全く違う特徴を持つ複数の花を開花させるようになった。  二つ目は性質の変質だった。ある蔦植物種は動物種を捕食するようになった。ある大型肉食獣種は凶暴ではなくなった。ある洞窟生息種は光を浴びるようになった。  この星の生態はたった一日を境に一変した。  初めの頃、世間はその変化や原因について熱心にニュースを流していたが、残念ながらクーは良い視聴者ではなかったので話半分にしか覚えていないし、今は誰もそんな日常のことをニュースにしたりしない。しかしそれは――確かに進化だったのだろう。変異した生物種は活発に活動するようになり、星が降る以前よりも数を増やし、生活可能領域を広げていった。即ち、彼らは地球の支配者として君臨していた人類の脅威となった。  哀れなことに、それまで繁栄を誇っていた人類は宇宙から齎された進化の恩恵に預かれなかった。  数多の生物が姿形の変化を迎える中、何故か人間にはその恩恵がなかった。惑星の上に生きる八十億もの人類の中で変化を得たのはごく僅かで、それも殆どが生育途中の幼児ばかりであった。変化のあった彼等も新たな肉体が社会環境に適合できず、その大半が幼い頃に死んだ。彼らの変異遺伝子が従来の人類にとって代わり、繁栄することはなかった。  その結果、人類は築き上げた都市を追われることになった。巨大化し、凶暴化した一部の変異生物種はやがて自らの得た力に気付くと、群れをなして街を襲うようになった。  森を開拓し山を崩し海を埋め、地を心地よいアスファルトで満たし、長く外敵に乏しい生活を送っていた多くの人間に為す術はなかった。高層ビルの半分もあろう巨大変異生物種たちは家々を踏み荒らし、ビルを角で打ち崩し、逃げ惑う人間たちを捕食していった。  警察は太刀打ちできなかった。要請を受けて出動した軍隊はそれなりに戦った。大きな砲弾で変異生物種を穿ち、死体を転がした。けれど軍隊も彼らを狩り尽くすことは出来なかった。  人間の都市を狩場と見定めた彼らは場所を変え、時間を変え、様々な都市に現れた。軍隊が駆けつけるまでに一つ、また一つと人の都市は破壊されていった。世界各地で何万、何億の死者が出てから――やがて人類は、かつての生活を諦めた。故郷を捨て去り、科学者たちが作り上げた新たな街へと移住したのだ。  『タラヅカ』はそういったシェルター都市の一つだ。シェルター都市の中でも後の方に作られた場所で、移住できるようになるまでにこの一帯の多くの街が滅んだ。クーが廃品を漁る『ケーニシ』もそういった間に合わなかった土地の一つだ。  当初、『タラヅカ』に移住できた人間は多くなかった。生活を失い、家族を失い、友人を失い、人々は疲弊していた。しかし十五年の月日が経ち、今や『タラヅカ』はかつて人類が栄華を誇っていた頃のような賑やかさを取り戻していた。変異生物種が『タラヅカ』の青いエネルギー・シェルターを突破したことは一度もない。  もはや自由に外界へ羽ばたくことは出来ないが、この限られた安全地帯で生きていくことこそが、新たな人類の在り方になった。  当事者でありながら、多くの人間にとってはそれらは何処か遠い出来事でもあった。  先程の野犬もどきの類なら街の内外問わず姿を見ることはあるだろう。それは外敵としてでもあり、商品としてもだった。  けれど街を襲うほどの巨大な変異生物種を――怪物をクーは見たことはない。精々、破壊された後の街を見て傷跡からその脅威を想像する程度だった。かつて、無防備な都市が外敵に襲われ、警報が鳴り響けばしたたかに身を守る地下通路へと逃げ込んだからだ。クーは目敏く、生き汚かった。多くの一般人同様に。  これだけ都市が滅ぼされても、クー同様、実際に怪物を見たものは多くない。襲撃があれば人間は一目散に安全な場所へと隠れるか、都市から逃げ出した。間に合わなかった人間は、死んだ。  だから、ちゃんと怪物の姿を見たものは兵士くらいのものだ。襲撃時の恐怖を呼び起こすため、ニュースでもそれらの映像は禁止されている。  人々は霧のような漠然とした恐怖の存在を知りながら、それに直面することなく生きている。  クーの家もまた『タラヅカ』にある。『ケーニシ』は危険を犯し、残された遺物を漁る稼ぎの場の一つに過ぎない。荷を担ぎ、慣れた様子で石畳の大通りを歩くクーの肩で、ストラップは物珍しそうに周囲を見渡していた。頭がひょこひょこと動く度に、下げられた明かり石が揺れる。  かつての人が様々な生き物を飼っていたように、今日でも変異生物種を連れる人間は少なくない。ぽつりぽつりと人と擦れ違っても、四脚四腕のトカゲというこの地域ではあまり見かけない種であるストラップも珍しがられることはなかった。  道の反対側を覗こうとしたストラップの細い二本の腕が、レスプ・マスクからはみ出たクーの耳を掴んだ。クーは僅かに首をよじらせた。 「おいよせ、くすぐったいだろ」 「クイイ?」  クーの文句にストラップは首を傾げた。黒く丸い目がぐりぐりと動く。レスプ・マスクの排気口から溜息が吐き出された。 「お前な、こっちは文句つけてるんだぜ? 怒ってるんだ。もうちょっと警戒心を持て、野生生物だろうが。噛み付かれるとか、投げ捨てられるとかだな、考えろよ。俺がちょっと本気出せばお前みたいなチビ、ぺちゃんこなんだぜ」 「クイイ?」  やはりストラップは同じ調子で反対側に首を傾げた。忠告にも関わらずまるで警戒するような素振りは見られない。やがてトカゲのような鼻がヒクヒクと動くと、何かに気づいたように再度クーの耳を掴み、頭頂部へとよじ登った。 「おい、ちょっと待て、何だっ」  鱗に覆われた脚部の指が鼻に入り、クーはくしゃみをした。むず痒い鼻を押さえながらストラップが気にする方を向いた。その視線の先にあったのは――一台の移動屋台だった。働きに出る者のために軽食を提供する店だ。今は朝食向けにホットサンドを焼いているようで、その香りがクーの鼻にも届いた。  ストラップは香りの方向に首を伸ばし、興奮を伝えるように四本の脚が強くクーの髪を掴んだ。   「あれが気になるのか?」  成る程、外界には焼いたパンなどは存在しない。初めて嗅ぐであろう香ばしい匂いにちっぽけな怪物が興味を持つのも不思議ではなかった。  しかし、クーは落ちそうなほどに首を伸ばすストラップの鼻を指でぐいと押し戻した。冷たい鱗の感覚が指に触れた。 「だが駄目だ。食う前にまずは――一仕事終わらせないとな」  ――『タラヅカ』の都市正門から歩いて二十分ほど、その薄暗いビルはあった。コンクリートの階段を登り、クーは二階にあるその店の扉を乱暴に蹴った。立て付けの悪い金属扉が重苦しく開いた。 「おいタルア、居るだろ」  散らかった床を蹴って歩く。店の奥から寝ぼけた声がした。 「んああ……? 誰だ……?」 「ラフィックだよ」 「んん? クーか!」  がさごそと巨体が動く音がし、カウンターの向こうのソファが軋んだ。やがてむくりと大柄な男が目をこすりながら立ち上がった。だらしない贅肉が重力に揺れるのを見ながら、クーは背負った荷を下ろした。 「よう、タルア。遺物を買い取ってくれ」 「ったく、いつも朝からよぉ」  雑然と積み上げられた廃品の山の中から、店の主であるタルア・マドックが現れた。タルアは不満げな表情を浮かべていたが、クーは気にせず言葉を続けた。 「とっとと捌いて寝たいんだ。それに文句をいうなら店の鍵くらいかけておけ。オマエの店が今まで強盗に入られたことがないのは不思議なモンだよ」 「ハ、バカ共はウチの店の価値が解かんねえのさ。で、いつものヤツか? 何割くらいだ?」 「廃品が八つ。遺物が三つだ」 「へえへえ。あんな所にまだ遺物があったとはな」 「幾らでもあるさ。きちんと探しさえすればな」  タルアは廃品回収屋だ。クーのような、変異生物種蔓延る外界にわざわざ足を伸ばし、廃墟と化した都市を歩くような物好きから、廃墟に残された機物を買い取る仕事をしている。打ち捨てられた古い機械たちだが、直せば今も動くものもあるし、そういったものを懐かしみ愛用する人もいる。使えない物でも分解し、リサイクルすれば新たな資源となる。かつての風景は失われ、外界が人間にとって危険な場所となった今、こうした僅かな資源も重要なものだった。  そして廃品回収屋が扱うもう一つのもの――遺物だ。遺物とは即ち『遺品』だ。  かつて、都市で多くの人間が死んだ。かつて、都市から多くの人間が逃げ出した。  全てのものを持ち出すことは出来なかった。多くの人が家族との思い出すら残したまま、その地を後にした。その中には親愛なる人の遺体すら見ることなく生き別れた者たちも少なくはない。  故に――クーのような人間はそれらを集める。亡き人の面影を、追慕を宿す品々を。  床に広げられた廃品を検分するタルアを、クーは暇そうに眺めている。手を動かしながら、タルアは口を開いた。 「暇そうだな、クー。タバコも買ってくか? 気に入りのやつ入ってるぜ」 「良い。禁煙中だ」 「続いてるのかよ、何日だ?」 「二日目だな」 「そりゃすげえ」  タルアは心を込めずに言った。 「オマエ、そのクソ呼吸器に煙草なんざ死ぬようなもんだぜ」 「売ろうとしたヤツが言うか?」  クーはレスプ・マスクの奥で呆れた。  事実クーの傷ついた呼吸器では、摂取する煙量をきちんと計らねば死ぬ。その程度は気をつけていたし、すっかり止めてしまうほどクーは神経質ではなかった。  カチャカチャと音を立てながら、検分された廃品や遺物が分けられていく。クーやタルアにとっては見慣れた光景だが、それに興味を持つ者もいた。  ストラップはクーの肩の上で、大きく目を開き首を傾げてそれを眺めていたが、やがて興味深げに廃品の山に近づき、クンクンと匂いを嗅いだ。 「アン? 何だァ? このチビ、どっから入りやがった? どけどけ、部品でも食われたらたまったもんじゃないぜ」 「待て、野良じゃない。俺が連れてきたんだ」  寝ぼけ眼でストラップの存在に気付いたタルアが、四脚四腕のトカゲを追い払おうとするのをクーは静止した。 「ハア? オマエが?」 「野犬に襲われてるところを助けてな。懐かれた」 「あんまり見かけねえヤツだな。何の生き物だかわかりゃしねえ、人間を食う怪物かも。どっちにしろ変異生物種だ。今のうちに殺しておけよ」  タルアはおもむろに、がらくたに埋もれた箱の中から銃を取り出した。 「よせ」 「アア? たかだがトカゲ一匹じゃねえか」 「良いだろ、たかだがトカゲ一匹放っといたって。こいつ一匹殺した所で何も変わらないのと同じ、生かしておいた所で何も変わりやしないさ」  ストラップは二人の会話にも気づかず、破損したアナログテレビの中に頭を突っ込んでいる。 「このチビ、群れとはぐれたらしい。どうも山の向こうから来たらしくてな。それで――連れて行ってみようと思う。群れがいる所までな」 「オマエ、こいつに情が移ったのか? 助けただけで?」 「まさか」  信じられないという顔をするタルアにクーは失笑した。 「随分とこの辺りしか歩いてないからな。こいつが案内する景色ってのを見るのもオツだろう。どうせもうすぐ終わる世の中だ。ちょっとくらい寄り道したって変わらんさ」 「そういうコトを言うと面倒だぜ。まだ世界は救われるって信じてる奴らも居るんだからな」  キイキイという声に目をやると、クーの足元にストラップが立っていた。その口には古い配線を咥え自慢げに見せつけている。 「随分と懐いてやがる」 「頭が悪いんだろうよ。こっちがちょっとその気になれば自分はぺちゃんこだって、気づいてねえのさ」 「ハン。外ねえ、もうすっかりなーんにもないだろうに、オマエみたいな外に行きたがる連中の気がしれねえぜ。シェルター都市には十分何もかも足りてるし、少なくとも今のところは安全だってのに」 「この都市に移住してきた時、俺はもうすっかり年だったからな。体が外に馴染んでるんだ。こんな壁の中でずっと閉じこもってるのは性にあわねえんだよ」 「オレだってオマエと変わらねえ年だが、こうしてちゃんと腰を落ち着けてる。外の空気なんて何年と吸ってねえ。だがすっかり慣れた。オマエが時代遅れなんだよ」 「そうかもな」  ストラップの咥えた配線を引っ張って遊んでやりながら、クーは呟いた。レスプ・マスクから呼吸が吐き出された。 「新しい時代についていけるヤツとそうでないヤツがいるのさ。俺は後者だった。――人類そのものは、どっちなんだろうな」  虹色の空は今や薄くなり始めていた。夜明けが過ぎ、空が徐々に青くなってゆく。窓の外では往来を行き交う人々が増え始めていた。
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