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第10話 秘めたる力と旅人のアミュレット。俺が「力」について知ること。

 俺は長い廊下をとぼとぼと歩きながら、一体今が何時なのかと気にし始めていた。館の中にはどこにも時計らしきものが見つからなかったので(例えあったとしても、俺にはそれとわからない形をしていたのだろう)見当もつかなかった。  部屋の窓から見えた限りでは、外はもうすっかり夜のようだった。もし自分の前を行く相手が見知った人、例えば、あの意地悪親切なツーちゃんとかであったなら、 「俺の晩飯は?」  と、一番の関心事をざっくり尋ねることもできたけれど、残念ながら、現在俺と行動を共にしているのは、さっき会ったばかりの得体の知れない強面の骸骨男だった。俺には到底、彼にそんなことを聞く勇気は無い。(ていうか、誰にも無いんじゃないかな)  骸骨の剣士は、耳を澄ませば微かに聞き取れる衣擦れの音だけを静寂の内に響かせながら廊下を歩んで行った。彼は全く俺を振り返らなかった。俺は骸骨の腰に下がった曲剣をじっと見つめつつ、例によって、自分が何の武器も持っていないことを心細く思った。  進んで争いに加わりたいわけではないけれど、こう物騒なことばかり続くと、流石に何か身を守るものが欲しくなってくる。トレンデで使っていた魔弾はもう使い切ってしまったらしく、いくら見つめても現れなかった。 「…………力を欲するか?」 「へっ?」  ふいに骸骨から問われて、俺はドキリとした。  彼は前を向いたまま、抑揚なく続けた。 「望むならば、この館の内にいくらでも剣は眠っている」 「ああ、いや」  俺はどうして悟られたのかと驚きつつ、しどろもどろに言葉を継いだ。 「いや、俺、剣は扱えないんです。確かに、何か武器は欲しいなとは、思っていたんですけど」  俺は揺れるマントの裾に目を留めた。よく見ればかなり傷んで、汚れにまみれていた。  彼がどこから来たのか、どのような存在なのか。知りたいような、触れない方がいいような。俺はもう考えないでおくことにした。これ以上の混乱は、完全に脳の容量《キャパ》オーバーだった。(いや、そもそも俺には脳なんて無いのか? ん?) 「だから、できれば、魔弾みたいな! ああいう即席で使えるものが欲しいなぁ、なんて思っていたんです」  それから俺は黙って話を聞いている骸骨男に、恐々と頼んでみた。 「でも、やっぱり、俺みたいな魔法の門外漢じゃ、魔弾を自由に扱えるようになるのは、難しいですよね? 修行とかしてみても…………」  男はゆっくりとこちらに首を向けると、俺を見下すふうでもなく平然と答えた。 「「グレンの魔弾」は、体系が十分に確立された技術だ。勇者が習得することも不可能ではない」 「本当ですか!」  喜んだのも束の間、彼はさらに言い継いだ。 「だが、勇者には時間の猶予が無かろう。余程の才があれば別だが、見る限りでは素直に別の術を学ぶ方が現実的であろう」 「そんなぁ…………」  しょげる俺に、男はどこか慰めるような柔らかさで話した。 「落胆するのは早い。それほど魔弾にこだわりがあるのであれば、別の手段もある。…………いずれにせよ、当面は魔弾のことは忘れよ」  俺は再び正面を向いた骸骨男に、縋って尋ねた。 「えっと、じゃあ、あの、他に俺にできそうなことって何がありますか? 剣の練習…………だとすると、俺、魔法よりももっと才能が無い自信があるんですけど」  自慢ではないが、俺はあらゆる格闘技において抜群の無能性を発揮した。空手にせよ、柔道にせよ、俺の身体は不思議といつも相手が考えている通りに動いてしまい(そんな折の俺の体捌きときたら、実に美しいものだ)、実にスムーズに、人に技を決められてしまうのだった。むしろすごい才能があるのではと、柔道の先生に感心されたぐらいである。  それに何より、26歳ニートの俺の失われた体力では、同じことをしても、同じように無事でいられるとはとても思えなかった。受け身なんてしたら、間違いなく筋肉痛で死んでしまう。  何にせよ、俺は進んで人の剣筋に飛び込んで行く気には、なれなかった。  骸骨男は俺の話を聞いてフッと短く笑みを漏らすと、変わらず平然とした調子で言った。 「何、もとより剣の稽古をつけようなどとは考えてはおらぬ。剣術のみで魔術とやり合いたければ、それこそ己の存在全てを擲つ覚悟が要る」 「ですかぁー…………」  俺は引き気味に笑い、肩を縮こめて次の言葉を待った。灯に照らされた骸骨剣士の背は、実際よりもずっと大きく見えて、まるで本当に世界中の影の権化のようだった。  俺は闇に包まれた廊下の向こうを眺め、ぶるりと全身に寒気を走らせた。果たして、どこまでこの空間は続くのだろうか。奥へ奥へと、少しずつ風が吸い込まれていくようにさえ感じられた。 「勇者。しかし、お前にも相応の覚悟が望まれている」  男は俺に、言い聞かせるみたいに語った。 「お前の魔力に対する可塑性については、すでにツヴェルグより聞き及んでいる。…………実に特殊で、危うい性質だ。過去にこの力を使いこなした者は例外なく、己の力、魂への深い理解があった」    骸は一拍置き、さらに続けた。 「それゆえ、お前の修行は、魔術、武術といった枠組みに囚われるべきではない。勇者は、勇者自身の待つ力を知り、制御するために鍛錬すべきだ」 「そうは言われましても…………」  具体的に何をすればいいというのか。俺は問いかける代わりに、眉を顰めて首を捻った。  己の力をコントロールしなさいとは、修行の内容としてはあまりに漠然とし過ぎている。そもそも、自分に「力がある」と言われたところで、俺には全くピンと来なかった。確かイリスに襲撃された時にも、そんなことで絡まれた覚えがあったが、今のところ、自分に何らかの特殊能力があるとは全く思えなかった。 「今は何を言われようとも、わからなかろう。それでよい。いずれ嫌でも知れていくことだ。…………闇も、灯も、波も、凪も」  俺は彼に、もう少しわかるように話して欲しいとは言えなかった。彼の話しぶりからは、ツーちゃんとはまた違った方向のややこしさが滲み出ていた。「力って何ですか?」とか、「闇って何ですか?」といった発言は、この際控えた方が良いに違いない。雪だるま式に謎が膨らんでいくのは目に見えていた。  男は静やかに話を継いでいった。 「勇者はまず、肉体と霊体とを自在に分離・融合させる術に集中するのがよかろう。千里の道も、一歩を踏み出さねば始まらぬ。そして、踏み出でた後は、いずれ引き返す道の無いことを悟るまで、ただただ無心に術を磨き続けよ。それが、お前の宿命となろう」  俺は濃霧に包まれた遠い道のりにぼんやりと思いを馳せてから、タカシとかいう阿呆面のことについて考えた。よく探したら部屋の隅にでも転がっていたんじゃないかと、俺は今も後悔していた。 「どこまで歩けばいいんでしょうか?」  俺の問いに、骸骨は実に素っ気なく答えた。 「それは勇者のみが知り得ることだ。今の私は、お前の護衛に過ぎぬ」  俺は諦めて口を噤み、またしばらく陰気な廊下を黙々と進んだ。左右の壁を彩るペイズリー模様が、段々とその形を崩しつつあることに、俺はつい今しがた気付いたばかりだった。模様は今や、無軌道に捻じ曲がった呪詛のように醜く成り果てていた。  人魂に似た左右の灯がじっと、音も無く揺らいでいる。  俺は沈黙に耐え兼ねて、再び男に話を振った。 「あの。実は、まだあなたの名前を聞いてないんですけど。よければ、教えてもらえませんか?」  今更な俺の質問に、相手は低く答えた。 「タリスカという。名はシフ」 「どちらで呼べばいいですか?」 「いずれでも」  俺は少し悩んでから、「タリスカさん」と呼びかけた。相手は小さく首を振ると、 「タリスカで構わぬ」  と言い、それからふいに、廊下の奥を見据えて立ち止まった。  「来たか」という低い呟きが聞こえたような気がした。 「ん? 何がですか?」  聞きながら俺は傍らのタリスカを仰ぎ見た。不思議なことに、彼の端正極まりない横顔からは確たる警戒が伝わってきた。橙色の灯が不安定に揺れ、彼の顔にまだらな陰影が形作られる。  冷たく湿った風が一陣、廊下を吹き抜けていった。  俺は、いつの間にか10メートル程先に、人影が立っていることに気付いた。  人影はずんぐりとした丸い筋肉質の肩を聳やかせて、ギラギラと黄色く目を光らせて俺達を睨んでいた。全身がうっ血した、手足の生えた達磨のような姿をしていた。 「何…………?」  眉を顰める俺に、タリスカが応じた。 「屋敷に巣食う悪霊だ。ちょうど良い」 「えっ?」  言うなりタリスカは地を蹴って間合いを詰め、嵐のごとく悪霊に斬りかかった。いつ剣を抜いたのかもわからない。達磨男は一重、二重、三重と瞬時に切り刻まれ、盛大に黒い血を吹いて廊下に倒れ伏した。タリスカは振り返りざまに血を切り、流れるような所作で剣を収めた。俺はようやく、我に返って瞬きをする。  タリスカはおもむろに俺の方へ振り返ると、いつもと変わらぬ調子で呼びかけてきた。 「勇者よ」  彼は懐に手を入れたかと思うや、 「受け取れ」  という短い言葉と同時に、何かをこちらへ投げてよこした。  俺は慌てて放られた物体を両手でキャッチし、それから恐る恐る、受け取った物を確かめた。  それは銅でできた、小さなアクセサリーのようだった。やや大きさの違う、鍵型の金属が二つ組み合わさっていて、どことなく知恵の輪に似ていた。 「これは、何?」  俺が尋ねると、タリスカはさらりと言った。 「旅人のアミュレットだ。それを使い、この悪霊に止めを刺せ」 「え…………? どういうこと?」  俺が訝しんだその時、達磨が一際大きな呻き声を上げた。喘鳴と、血が喉から溢れる生々しい音が廊下中に響き渡る。俺は思わず身を強張らせた。タールみたいな悪霊の血が、たっぷりと床のカーペットの上に染み込んでいく様子が、すごく恐ろしかった。  タリスカは淡々と俺に告げた。 「お前は霊体だ。この悪霊も同様。近い領域の者同士は強く干渉し合う。お前とアミュレットの力があれば、滅びゆく霊を冥界へ導くことは容易い」  俺は痙攣する敵の肩を見つめつつ、タリスカに怒鳴った。 「わからないよ! あんまり悪趣味なことをしないでくれ! いきなり言われたって、無茶だ!」  タリスカは俺を見つめ、揺るぎない口調で返した。 「死を感じろ、勇者よ。お前の魂に映るものを、尊重せよ」 「どうやって!? 早く死んじまえって、願えばいいってこと? それなら、もうとっくにやっているよ!」 「誤魔化すな。不実は魂を穢す。…………お前は承知のはず。死は、もう傍らにある。「扉」はあと一押しで開く」 「「扉」? 何を言って…………。俺は誤魔化してなんか」  言いかけて俺はふと、トレンデでツーちゃんに助けられた時のことを鮮かに思い出した。銀騎士が呼んだ霊に殺されかけた時、あの不思議な家の中で体験した感覚が、俄かに自分の内に蘇ってきた。  あの時ツーちゃんは、霊体である俺を媒介に、銀騎士とその家族の霊を結び付けていると言っていた。彼女は俺を力場として、銀騎士の魂を家族の元へ導き、何とか彼の魂を鎮めたと言った。  あの時、俺の魂は場に溶け込みながら、自分がどうすればいいか、初めからわかっていた。特に教わらずとも、人がドアの開け方を知っているのと同じように、俺は当たり前みたいに、銀騎士を家族のいる部屋へと連れて行くことができた。ドアが開けば、空間と空間が繋がる。その当然の感覚が、力となって…………。  思い返せば、トレンデでリーザロットが俺を押し倒した時や、魔弾が敵に向かって飛んで行った時にも、同じ感覚が力の要にあったように思う。意識の流れとでも言えばいいのか、魔法というのは、もしかしたら、とても簡単なものなのかもしれない。リーザロットも、そう話していた。  死にかけた敵が、どこか別の世界へ移ろうとしている。見たままの事実。簡単な話だ。  彼は死にかけている。死ねば、どこか別の世界へ行く。誰にだって、わかっている。  俺はそこに、魔弾とは全く規模の違う、圧倒的な魔力の「流れ」を感じ取っていた。  どこか深い暗闇へと繋がる「扉」が、見えないのに、「わかる」。  ――――あと、ほんの一押しだ。  ――――手を伸ばすだけでいい。  ――――銀騎士の時と同じことを今、やれば。  俺は血溜まりに転がる相手へ向けて、アミュレットをかざした。恐怖にもまして、好奇心が俺を駆り立てていた。  …………どこかから、巨大な海鳴りのような音が聞こえてきた。地の底から徐々にせり上がってくるような、おびただしい数の亡霊の声が、それを追ってくる。  俺はぶわっと全身が粟立つのを感じた。  水っぽい、煙草の苦い味わいが口の中に広がっていく。  身体中がビリビリと痺れだす。  電動ノコギリのような無粋な振動が大気に満ち、敵の喘鳴が激しく、鮮明に耳に響いてくる。  目に見えるのは、絨毯に染みていく血液。  悪霊の身体から滴る血雫が、異様に重たく、遅く落ちていく。  ツンとすえた嫌な匂いが鼻を刺す。  ――――いよいよ、来る。    俺は片方の腕でもう一方の手首を強く押さえ、掌に刺さる程の勢いでアミュレットを握り締めた。  …………強い風が、吹いた。  何千、何万という叫びを帯びた黒い旋風が「扉」から一挙に押し寄せてきて、血に染まった悪霊の身体を、瞬く間に俺の背後へと掻っ攫っていった。  濁った水気を孕んだ風が、俺を乱暴に撫で回して駆け抜けて行く。俺は固く目を瞑り、魂に容赦なく探りの手を入れてくる亡霊たちの愛撫に堪えた。彼らの手は氷のように冷ややかで、暴力的だった。  いつしかアミュレットを握る手が、血と汗でぐっしょりと濡れていた。だがその不快すらも、この場では自分がこの世に留まる縁(よすが)になった。気を抜くと、亡霊共に意識を全て攫われそうになる。  亡霊が俺を撫で回す。  口づける。  引っ掻き、まさぐり、締め付ける。  遠ざかっていく間にすら、指先を絡めていく。  禍々しい風は次第に、微かな塵だけを残して収まっていった。  静まった後に、ゆっくり瞼を開いてみると、死への「扉」はもう重く閉ざされていた。俺には最早、何の魔力の気配も感じ取れず、ただ絨毯の上の黒々とした染みだけが、鮮烈に目に映えた。  廊下の灯はさっきまでとは打って変わって、明々と景気良く燃え盛っていた。俺は自分とタリスカが、いつの間にか廊下の端まで来ていたことを、その時になってようやく知った。壁のペイズリー模様も、整然とした美しさを取り戻していた。  俺は濡れた掌を開いて、アミュレットを見つめた。何の変哲もない、くすんだ銅の知恵の輪である。よく見かける竜の紋様が、ちっちゃく彫り込まれている。  俺は正面に立つタリスカを見やり、長い溜息を吐いた。心臓が早鐘のように鳴っていた。タリスカは俺の方へ歩んでくると、擦れ違いざまにポンと俺の肩を叩いた。 「よくぞ耐え抜いた。…………そのアミュレットは、どこの店にもある土産物だ。魔具ではない。 全ては、お前自身の力だ」  俺はしばらくの間、颯爽と先を歩いて行くタリスカを呆然と眺めていた。やっとのことで足が前へ動いたのは、彼がかなり先へ行ってしまってからだった。まるで、全身の骨が鉛に置き換わったみたいな気分だった。  あれが――――俺の力だって…………?  ちっとも訳がわからないし、とんでもない話だ。  …………というか、タリスカも中々にぶっ飛んだ人であるらしい。土産物って…………。
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