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第9話 タカシの失踪と骸の剣士の来訪。俺がお屋敷の闇へ乗り出すこと。

「…………――――目覚めよ。勇者よ」  ふいに響いてきた男の声は、秋の夜雨のように深く、暗く、冷たいのに、不思議と芯から安らぐ、穏やかさを宿していた。 「蒼姫の結界が破られた。何者の仕業かは知れぬ。外部からの破壊ではない…………」  俺は微睡みのうちに、男の言うことをぼんやりと脳内で反芻した。    蒼姫。  …………リーザロット。  結界。  …………くるみ割り人形。   「しかれど、このままではお前の身が危うい。彷徨える霊は常に、主なき肉体を渇望している。見つかれば、瞬く間にお前の肉体は乗っ取られよう」  俺はおもむろに目を開けた。ぼやけた月明かりが窓からじんわりと差し込んできていた。上背のある誰かが俺の枕元に立っている。  しとやかな月影に包まれた男は、俺の目覚めを知るなり、異様なまでに細い腕を俺の前に突き出してきた。俺は黙って、彼の手が自分の顔面に近付いてくるのを見守っていたが、やがてその正体に気付き、悲鳴を上げた。 「――――うっ、わぁぁぁぁぁああああ!!!」  俺は跳ね起きると、毛布を強く抱きしめて壁際まで後ずさった。乱れたシーツや毛布、衣服に染みついた冷汗の不快な感覚が、今見ている景色が夢ではないことを如実に物語っていた。  俺は眼前の男を指差し、震えながら叫んだ。 「だっ、誰っ!? 誰だ、アンタ!? どうしてここに!?」  男は影ほども動ぜず、雨の如く静やかに答えた。 「私は冥府より来たれり、旧き刻の剣士。…………蒼姫に仕える魔だ。お前を守護しに来た」  俺には彼が何を言っているのかさっぱりだった。  冥府だと? つまり、俺は死んだのか?  いや、霊体など元々お化けみたいなものではあるのだが…………それにしたって、あまりに唐突で、意味不明過ぎる。   俺は何度か口をぱくぱくと無駄に喘がせてから、どうにか意味のある言葉を組み立てた。 「アンタの、その姿…………魔法?」  男は何も言わず、腕を組んだ。彼の両腕は象牙のようにほの白く、武骨さと柔和さと曲線美とを完全に融合させた、滑らかな形をしていた。未だかつて見たことのない、魅惑的な…………骨格。  まさに「骸骨」と呼ぶべき存在が俺の目の前にあった。  俺は男の顔をまじまじと見つめた。  窪んだ、二つの虚ろな空洞が俺を見据えていた。重ねた年月がその眼窩の奥深くに、力強く息づいていた。彼の頬や顎の隆起は奇妙な頼もしさを醸し出しており、フードに覆われた彼の額には、痛ましくも雄々しい亀裂が、斜めに一筋、走っていた。  俺はぐっと唾を飲み込み、おずおずと相手に頭を下げた。 「えっと…………すみません。ちょっと、動転しちゃって。…………その、俺を助けに来てくれたんですよね…………?」 「然り」  男の表情はわからない。俺は続けて尋ねた。 「あの、俺の身が危ないって、どういうことですか?」  骸骨男は地の底から囁きかけるような声音で、もう一度語った。 「この館の中にある結界が何者かの手で破壊され、潜んでいた霊が溢れた。霊体…………つまりはお前を宿さぬお前の肉体が、それによって脅かされている」  俺はじりじりと壁から背を離しつつ(かと言って、あまり骸骨男に近付き過ぎることもないように)若干だけ身を乗り出した。 「その、問題の俺の肉体はどこに行ってしまったんでしょう? 俺が眠った時には、確かに部屋の中にいたはずなんですけど」  すっかり暗くなった部屋を見渡す俺の問いに、男は簡潔に答えた。 「わからぬ。ゆえに、私はお前の元を訪れた」 「とは言っても俺、何も知らないんですけど」  毛布を握り締める俺に、骸骨は顔色一つ変えずに話す。 「肉体と霊体は引き合うものだ。如何にお互いが反発し合おうとも、そう容易く断ち切れる縁ではない。…………お前と共に肉体を探せば、探索もはかどる。さらにその場でお前たちが融合できてしまえば、より話が早い」 「わ、わかりました」  俺はとりあえず首を縦に振った。何だかよくわからなかったけれど、彼と一緒に、あの馬鹿タカシを探しに行けば良いということらしい。どこをどう探すのかは依然不明であったものの、俺に他の選択肢があるとも思えなかった。  骸骨男は相変わらず、全く読めない虚無の眼差しで俺を見つめつつ、ゆるりと呟いた。 「では…………行くぞ」  言うなり骸骨男は再び俺に向かって腕を伸ばしてきた。俺はその得体の知れない迫力に気押され、反射的に毛布を頭から被ろうとした。 「ちょっ、何ですか!? 何をする気ですか!?」  俺の怯えた叫びに、骸骨は淡泊に応じた。 「毛布をどけろ。幼子ではなかろう」 「やめてくれ!!!」  骸骨は容赦なく俺から毛布を剥ぎ取ると、何か禍々しい詠唱と共に、俺の頭を鷲掴みにした。 「!!!」  彼に触れられた途端に、意識が一気に暗黒に染め上げられ、俺は己の悲鳴ごと吸い込まれていくような深い闇に包まれた。  何の光も映さない、石炭よりも遥かに黒い黒。それを一杯に満たしたみたいな世界が、一瞬だけ俺の前に「見えた」。  ――――次の瞬間には、俺は見知らぬ場所に膝をついていた。一応は館の中と見え、床には埃っぽい、例のペイズリー模様の絨毯が敷き詰められていた。正面にある窓の向こうに、セロファンみたいな安っぽい橙色の灯がちらついている。 「…………立て、勇者よ」  どこかクラシック音楽にも似た、骸骨の低い声に誘われて、俺はよろよろと立ち上がった。骸骨は俺が立ち上がったのを見届けると、サンラインで最も黒そうなマントを翻して、音も無く颯爽と歩き出した。  俺は小走りで彼について行き、部屋の外へまろび出た。外には、鏡写しの世界を思わせる、冗談みたいに長い廊下が延々と伸びていた。廊下の両側には一定の間隔を空けて、人魂みたいな灯が頼りなく宙に浮いている。  骸骨は不安で立ち竦む俺をチラと振り返り、言った。 「案ずるな。毛布など無くとも、お前はすぐに強くなれる。少し…………修行をつけてやろう」  俺は開いた口を塞ぐことができないままに、こくりと小さく点頭した。
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