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第9話 お帰りなさい旦那さまと呼ばれるならこんな風に

 酔えるわけがなかった。  どれだけエールを煽ってみたところで、バッドのことを語るメルゥの寂しい顔が脳裏を過ぎる。肉を喰らっても、魚を食らってもだ。  流石に飲み過ぎじゃないかと、酒場の店主がわざわざ出てきて忠告してくれたが、それを無視して俺は更に飲んだ。度数の高いリキュールも試してみたが、これも無理。  ダメだ、ダメだ、全然ダメだ。  どれもこれも俺の肝臓には染みちゃこねえ。  ちくしょう、どうなってやがる。  俺のアルコール分解能。  ――いや違うな。 「どうしてこう俺は、人嫌いの癖に、妙なところで人に興味を持っちまう。ほっとけばいいだろう、あんなコボルト娘」  ごんと杯をテーブルに叩きつける。  まだ中身が入っていたそれは、派手に琥珀色の液体をあたりに飛び散らせた。  騒然とする店の中、じろり、と、店主が俺を睨んでいる。  でていけ、と、寡黙なここの支配人は俺を怒鳴りつけたりなぞはしない。  けれどもそろそろ、ここから姿を消すべきだろうことは、周囲のぴりぴろとした空気から察することができた。  馴染みの、いつもだったら酒代をかけて腕相撲でもするような冒険者が、得物を持ってこっちを睨んでいるのが実に痛ましい。  悪かったよ。  そう呟いて、俺は酒と料理代、あと迷惑料と合わせて、金貨五枚置いて店を出た。  酔いはしていないが、胃の中がアルコールでつかえていた。  しかしそれよりも、メルゥを置き去りにして冒険者ギルドから出てきた、罪悪感が胸いっぱいに溢れかえっていた。  旦那さまと、健気に俺のことを慕う、彼女。  それを、だまし討ちのように捨てた。  どうしてそれが心に引っかかった。  バッドのことがあるから。  たぶん、それが一番の理由だろう。  身内を失って意気消沈している彼女の前から、裏切るように姿を消すという行為。  その行為が彼女を傷つけてしまいやしないかと、俺は逃げ出してから気がついたのだ。  どうして、だったら逃げねば良かった。  理詰めで話をつければよかった。  それで、彼女に、旦那さまにはなれないことを納得してもらえばよかったのに。  バカ野郎。俺の大バカ野郎。  人見知りでもやっていいことと悪いことがあるだろう。  面倒くさい女だとしても、その前に、彼女には深い傷があるんだ。  なのになんでそれを――。 「だから嫌なんだよ!! 人と関わって生きるってのが!! 俺は独りがいいんだ!! 誰とも交わらないで、誰にも振り回されないで!! てめぇ独りで勝手に生きて、てめぇひとりで勝手に死ぬ!!」  悪いか、そんな冒険者で。  そんな人間で。  狭いながらも一軒やな自宅の扉を蹴破って中に入る。  糞が、と、叫ぼうとした――その時。 「あっ!! お帰りなさいませ、旦那さま!!」  家に捨ててきた犬コロが居た。  エプロンをつけて、溜まっていた炊事場の洗物を、丁寧に布巾でふきとりながら。  心なしか、床も片付いているように感じる。  いや、うん。 「――なんでいる!?」 「なんでと言われましても。夫婦は一緒に住むものではありませんか?」 「――いやいやいやいや!! 俺、お前にここの住所教えてないよね!?」 「ふふん。旦那さまの匂いは、私、もう覚えちゃいましたから」  その整った鼻先を天井に向かって突き出して、何故だか自慢げに言うメルゥ。  レザーメイルから、優しい色合いのエプロンに着替えたそんな彼女に、それ以上怒鳴りつける気になれなかったのは、今更酔いが回ってきたからか、それとも、あんまりにあんまりなその理由に返す言葉が見つからなかったのか。  安堵か、絶望か、よく分からない、ぐにゃぐにゃとした意識に襲われた俺。 「あれ? 旦那さま!?」  そのまま、ちょっとだけ綺麗になった床に、ごろりと倒れこむと、俺はようやくその日の意識を解き放つことができたのであった。 「旦那さま!! しっかりしてください――って、これはアルコール!?」 「すまん、メルゥ。話は明日にしよう。今日はもう、寝かせてくれ」  お願いだから。
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